126 安達茉莉子、石原真衣、上田久美子、小川たまか、長田杏奈、小田原のどか、金井冬樹、鴻巣麻里香、高島鈴、武田砂鉄、長島有里枝、能町みね子、野中モモ、藤高和輝、星野概念、松尾亜紀子、松橋裕一郎(少年アヤ)、水上文、森山至貴
「ウェブ平凡」連載に書きおろしを加えた本。あなたの「フェミ」はいつ、どこから始まったか、というテーマで各人がそれぞれに自分なりに書いたエッセイ。なるほど、フェミニズムとの出会い、そしてそれが自分にとってどういうものであるかは、本当に人によってすごく違う。当たり前だけど。でも、すべてのエッセイが正直で、まっすぐで、わかりやすかった。そして、「私のフェミはどこから?」を考えるきっかけにもなった。
すべての人間は、生まれながらにして自由であり、尊厳と権利について平等である。
これは世界人権宣言第一条。でも、この後に「人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない」と続く。「同胞の精神」の原文は「spirit of brotyerhood」である。女性はbrotyerhoodからこぼれおちる。
日本初の人権宣言といわれる1922年の水平社宣言も「兄弟よ」という男性に限定した呼びかけから始まる。これが部落解放同盟から「ジェンダー意識に問題」と初めて見解を出されたのは2024年3月のことである。
ということを、私はこの本の、小田原のどかの文章で知った。そうだったのか。
だが、同時に思う。私自身も女性ではあるけれど、ではあらゆる差別意識から私は自由であるのか。生まれながらに人は平等だと心から信じ、すべての人に対して対等に向き合うことが私にはできているのか。それを思うと、うなだれるべきことを多々思い起こす。私は私で人よりも恵まれているものがあり、それを有利に生かし、使い、誰かを足蹴にして生きてきたかもしれない。もちろん、人よりも劣っていて失敗したり間違ったり悔しい思いをしたこともたくさんある。女性であるがゆえに貶められたり押しのけられたことも、たくさんある。そう考えると、互いに尊重しあうこと、尊厳を認め合うことは本当に難しい。それは理想の姿であって、現実に行うには驚くほどの障壁がある。
だとしても。理想を願い、語ることは重要だし、必要だ。今、私は私であることを大事にするように、他の人がその人自身であることを、大事にしたい。
などということをつらつら考えながら読んだ。人はみな違っているし、考えることもばらばらだ。だけど、だからこそ、どんな人へも敬意をもって認め合って生きていきたい。それはとても困難なことであるけれど。
