45 高瀬隼子 集英社
初めましての作者だと思っていたら、前に一冊読んでいた。「おいしいごはんが食べられますように」の人だ。芥川賞作家だ。前作で私は「ホラーじゃないか」と思ったが、今回も「怖っ」と思った。後味はあんまりよくないよなー。
スマホを眺めながら自転車で走ってくる中学生に「ぶつかったる。」と思う主人公。そして、ぶつかろうとしたとき、直前に気づいた中学生がハンドルを切り、主人公の右ひじにかごが当たる。自転車は倒れ、走ってきた自動車とぶつかる。あくまでも、軽く、だ。その車から出てきたのは主婦らしきおばさん。中学生は肘から出血している。警察も呼ばず、傷も確認せず、「謝らないの?」というおばさんに謝って中学生は走り去る。
もうオープニングから、闇。いろんな思いがぐるぐるしてしまう。私は免許持ってないからよく知らんけど、こういう場合、警察に届けるべきなんだろうし、謝るべきは中学生なのかどうかも怪しい気がする。ってか、スマホ自転車に気が付いてたら、ぶつかったる、と思う前にすることがあるだろう。…というのは、私の常識的なところか。常識的じゃないからこそ、小説になるんだな、きっと。つまんないことをつい考えてしまう。
いろいろなことに気づいてしまう主人公。相手の期待に応えてしまう、人によって自分の在り方を変えて接する、でも、どうしても譲れない部分はできてしまう。幼い頃に祖母に殴られた母の姿を見て育ったらしい。相手の気持ちを掬い取ってそれにこたえる性分が出来ているのかもしれない。でも、女の子ってたいていそうだよね。人に合わせて、自己主張しないで、素直に言うことを聞いて、いつもニコニコして強いことを言わないように育てられる。そうなったかどうかは別として、私だってそうあれと育てられたし。
まじめでまっすぐな性格であるはずの中学校教師の恋人にも、闇がある。彼と向き合う主人公にも、闇はどっさりある。本当の自分が何なのか、正直であるっていいことなのか、できることなのか。そんなことも考えずにはおられない。人は多面的で、いろいろな顔があって、でもそれがその人自身である、みたいな。
この小説が評価されるのは、分からないわけじゃない。でも、もういいかな、と思ってしまうおばさんの私。こうやって、誰かの顔色を見たり、忖度したり、ねじれた形で人に復讐したりってのは、むしろエネルギーがないとできないことだから。もう、そんなのはいいや、と思う。嫌われても誤解されても、めんどくさいよりはまし。いい顔しないことで孤立したらしょうがない、とすぐ思っちゃう。だから、こういう小説を読むと、それだけでちょっとめんどくさい。素直になれや、正直が一番だぜ、相手のことも、闇も含めてまるごと受け入れちゃばいいじゃん。そう思えるのは、私がもう社会的に一軍の場所にいないからだろう。とも、どこかでは思うが。若いって、たいへん。がんばれ、みんな。