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「いじめっこ」ローラ・ヴァッカロ・シーガー あすなろ書房
一年生のお嬢さんがいる方が「娘のクラスに意地悪な子がいる。自分がやっていることを反省させたいのだが良い絵本はないか」と、とあるサイトで質問されているのを見かけた。最初は松谷みよ子の「わたしのいもうと」を考えたのだが、とあったので、うわーと思ってしまった。があまりに重いのでやめた、とのこと。ああ、良かった、とつい思ってしまう私である。
いじめの問題は、いじめと一言で片付けるには、あまりにも難しすぎる。こんな言い方は身もふたもないかもしれないが、たかだか朝の読み聞かせで、いじめている(と大人が認識している)子どもがなにごとかを気づくとは期待できないし、また、それを狙って絵本を読み聞かせてやるものではないのではないか、と思えてならない。
前述の「わたしのいもうと」などは、あまりにも重くて重くて、我が子を膝に乗せてさえ、読んでやるには多大なる勇気がいるし、そこから何を学び取るのかは、非常に重く苦しい問題である。気をつけないと、違う方向に進んでしまう、とさえ思う。
この「いじめっこ」は実に単純な話である。大きな牛に「あっちいけ」と脅された子牛が、自分より小さいうさぎや鳥や亀や豚に「ねえ、遊ぼう」と誘われて、いらついていたのか、「やだ!」と睨みつけ、「ちび」「ぐず」「ぶた」(これは豚に言ったので、厳密には暴言にはならないが)「うるさい」などと暴言を吐くが、やぎに「いじめーっこ」と言われて「いじめっ子?」と驚き、考え「ごめん・・・ねえ、あそぼうよ」と言って受け入れられる、それだけである。
読めば、子どもの世界でよくある出来事にすぎない。そしてまた、暴言をはかれたほうもあっさりと許して、仲良く遊ぶのである。
息子が小さい頃、近所の同じような男の子とよく喧嘩をしては「一生遊ばんから!!」などと宣言されて帰ってきて、五分後には「遊ぼう」と呼ばれたものだった。おお、なんと短い一生か、と笑っていたものだが。子どもってそういうところあるよね、と思う。
いじめは軽く扱ってはいけない問題だ、という。たしかにそうだ。だが、重く扱いすぎても、大人が気張りすぎてもいけない問題でもある。いじめているとされる子の側にだって、その子なりの事情もある。例えば、大きい牛にあっち行けと言われてばっかりとか、ね。
絵本の読み聞かせを、いじめ問題の解決に使おうとしてもなあ、と思う。一人の子の心の何処かに引っかかるものが、いつか何かで実を結ぶことはあるかもしれないが、だからといって、その効用を求めて読み聞かせをされるのではたまらない、とやっぱり私は思う。
子どもには、読み聞かせの時間を、純粋に楽しんでほしい。大人の思惑や効用や効果のためではない、絵本をきっかけに、自分の世界を広げる楽しさだけを知ってほしい。それ以上のものは、また、別のところで、別のやり方で、きちんと教えてほしい。
この本だって、いじめについて考えたり、理解するために読む絵本なんかではない。子牛の一日、こんなこともありましたよ、でいい。それ以上のことは、それぞれが自分の心の中で勝手に広げてくださいな、と私は願う。
2017/10/24