5 岡田圭 医学書院
副題は「死に直面する人と、私たちは何を語り合えるのか」である。作者は舞台制作活動などを経て神学校を卒業、ニューヨークのホスピス緩和ケア病棟にて15年以上チャップレンの仕事をした。チャップレンとは、病院や介護施設、ホスピスなどで患者や家族、スタッフなどの精神的、宗教的なニーズを支援するカウンセラーのような役目である。その経験を踏まえて書かれたのが本書である。
「九月はもっとも残酷な月」に引き続いてけっこう重い本。なんでこんなのばっかり読むのかなあ、自分。図書館に予約を入れたらこの順番で来てしまったのだからしょうがないのだが、まるで高齢の母の危機的状況に示し合わせたようなラインナップではないか。余命六ヶ月の人たちとの対話や、そこから学んだことが書かれているのだから、まあ、しみるというか、身につまされるというか、現実を突きつけられるというか。でも、それほど苦しくなるわけではないのが救いであった。
私たちはよく忘れているけれど、人間の死亡率は100% である。教えてくれたのは山田風太郎だ。確かにそうだよなあ、と思って以来、死ぬのがそんなには怖くなくなったのを覚えている。死ぬまでしっかり生きること、死につつある自分を大事にすること、愛すること。そんなことを改めて考えられる本である。と、ともに、死にゆく人を見送る側の心構えのようなものも教えてくれる。過度に役に立とうと思わないこと、過度に支えようとしないこと、本人の意思を大事にし、尊厳を見守ること。違う場所に行く人を見送るような心持ちでいること、死んでもなおその人の心は私たちの中に生きつづけること。
まあ、母はまだ余命を宣告されたわけではない。ただ、圧迫骨折で寝たきりになり、手術を経てリハビリで再び歩けるようになるかどうかの瀬戸際であるだけ。長い入院生活で、かなり認知に変化が起きてしまっているが、それが今後どのようになるかは未知数である。人が生き尽くすって大変なことだ。それこそが母に教えられたことのひとつだ。
この歳になるといやおうなしに死について考えるようになる。若い頃には気にも留めなかった季節ごとの自然の移り変わりに驚くほど心動かされたり、うるさいとしか思えなかったよその子どもが走り回る姿に胸が熱くなったりするのもそのせいかもしれない。そういう自分の経年変化もまた興味深いし、それを楽しみたいとも思う。そんな人生の季節にこの本と出会えたのは、悪いことではなかった。