お話を語る

お話を語る

2021年7月24日

「たのしいお話 お話を語る」 松岡享子

図書館の月一回のストーリーテリング講習で、参考書に指定されたのは、別の本なのだけど、さすがにその本は、他の受講者に先に借りられてしまっていて、予約中。だからというわけでもないのだけれど、この本を発見して、試しに読んでみたら、なんとも目からウロコ本でありました。

ああ、私、今まで何やってたんだろう、って思う。
読み聞かせを前の小学校で四年間やっていて、その間に、疑問に思ったり、困惑したり、これでいいのだろうかと自問自答したり、迷ったりしていたことが、この本には、次々と出てくる。すべてが正解かどうかはわからないけれど、ともかく、同じような問題は、読み聞かせたり語ったりする人には、当たり前に存在していて、それに対して、まっすぐ向き合って、こんな風に、本当に些細なことから誠実に答えてくれる本があったなんて。
なんで、今まで読まなかったんだろう。

たった一回、ストーリーテリング講習を受けただけで、今までやってきたことの間違いをたくさん発見してしまった。間違いというか、もっと良い方法があったってこと、勘違いしていたこと、心配しなくてよかったんだ、ってことも含めて。

それを踏まえてこの本を読むと、おお、なんてわかりやすい。語ることを、私は今まで、こんな風に信じてはいなかった、こんな風に聞き手を信じていなかった、と、基本姿勢から、覆されます。

もし前の小学校にまだいたら、この本、いいわよ、って読み聞かせのメンバーに勧めたかもしれない。けれど、こんな本も読まなきゃいけないの、って、みんなには、ただただ負担になったかもしれない。読み方、語り方、選び方も、もっと準備して、勉強していけば、よりよいものにはなるだろうけれど、それを求めると、一人ひとりの負担が増えて、メンバーはもっと減っただろうし。更に言うなら毎週火曜日の朝十分の体制自体から洗いなおすべきじゃなかっただろうか、なんて思えてきて・・・。何を目的として読み聞かせをしているのか、一度振り返る必要はあったのかもしれない。でも、もう、私はそこを離れているのだし。だから、今は、ここで、私は出来ることをやっていこう、と思う。

うまくいかなくても、決して聞き手のせい、環境のせいにしてはいけない、っていう当たり前のことすら、私、わかっていたかな、と、もう一度胸に手を当てたい。疑問に感じたことは、聞き手と語り手の関係の中で、自然に解決することもたくさんあるんだということにも、新鮮な驚きがあったりして。子どものよく知らない昔の道具、使われなくなった言葉。そういうものへの対処の仕方も、自然の流れの中で、子どもたちが物語を感じる心をもっと信頼して、それでいてさらりと説明することは怠らずに、堂々と読んでいったら、もっと昔話や民話も、生き生きと語れたのではないか、と考えたりする。

時間を共有する、空間を共有する、そして、物語を共有する。その基本に、もう一度立ち戻って、新しい気持ちで、始めてみたい。

それにしても、お話って、楽しい。これからの講習が、楽しみだ。

2009/6/4