くもをさがす

くもをさがす

103 西加奈子 河出書房新社

人間ドックの待合室で読んだ。臨場感たっぷりだ。ドックの受診者は番号で名前を呼ばれるんだが、この本に熱中していて、私は何度も呼ばれる番号をスルーしてしまった。待合室に、面白すぎる本を持っていってはいけない。

この本は、西加奈子がカナダのバンクーバーに長期滞在中、乳がんに罹患してその治療を行った話だ。しかも、コロナ禍でのことだったので、事態はより一層大変だった。小さなわが子も、年老いた猫もいた。寄り添ってくれる夫もいた。病気は日常をひっくり返す。本当に大変だったと思う。でも、彼女はとても頑張った。怖がったし、パニックも起こした。けれど、そういう自分を少し離れたところで見据えて、それを文章化するという作業ができた。そして、その作業は、きっと彼女をものすごく支えたのだと思う。書くことは、人を支える。私も、そう思う。

この本から知るバンクーバーという街が好きになった。移民の多い、それぞれが個々を大切に尊重しながら生きる街。人生の主人公は自分であることを忘れない人たちが助け合う街。この本にはたくさんの友達や医療スタッフが登場する。ミスも失敗もいろいろあるのだけれど、根底には明るさとやさしさと愛情が流れている。人は人を助けるんだなあ、としみじみ思う。抗がん剤治療の間、たくさんの友達が後退に料理をとどけてくれるMeal Trainなんてシステムがあるのには感動した。

 私はデヴィッドが作ったうどんを食べ、マユコが作ったハンバーグを食べ、チエリが作ったお好み焼きを食べ、ヨウコが作ったおいなりさんを食べ、ナオが作ったキンパを食べ、アヤが作った炊き込みご飯を食べ、クリスティーナが作ったサラダを食べ、メグミが作ったおでんを食べ、ユウカが作ったボルシチを食べ,キットが作った魚のグリルを食べ、ケンタが作った麻婆豆腐を食べ、アマンダが作ったパスタを食べ、マイクが作ったスープを食べ、チェイシュマが作ったカレーを食べ、ジョーが作った韓国風のおにぎりを食べ、ファティマが作ったローストチキンを食べた。
 人の作ったご飯、の力を、私はしみじみと感じた。それは、ご飯以上の何かだった。私の身体を、内側から動かすものだった。(引用は「くもをさがす」西加奈子 より)

日本では、人に迷惑をかけないように、が大きな基準になる。子どもの躾において最重要視されるのはそれかもしれない。何をしてもいいのよ、ただし、人に迷惑をかけなければね、と私たちは言われて育つ。でも、人と人が大勢一緒に生きていたら、絶対に迷惑はかけあうものじゃないか、どうしようもない時は、たとえ迷惑をかけてでも、何とか生き延びたっていいじゃないか。お互い、次は自分の番、次はあなたの番なのだから。そんな感覚が、当たり前のように息づく街で、作者はがん治療をした。

がん治療を経て日本に一時帰国した時の作者の感想に、ものすごく共感した。電車の中の広告を見るだけで、私たちは様々な強制に気づく。太っていてはダメ、ムダ毛があってはダメ、賢くなければだめ。雑誌を読めば年より若く見えるファッションを要求しつつ、オバ見えはだめ、イタ見えはだめ。「幸せそうって思われたい!」という雑誌の特集タイトルさえある。幸せになりたい、ではなく。幸せそうって思われたい、という、ただただ他人からどう見えるかだけに乗っ取られた思考。めっちゃ不幸そうに見えても、実は幸せ、な方がよほどいいのに、と彼女は書く、そりゃそうだ、当たり前だ、と私は深く頷く。でも、こういう思考、ものすごく多いよね、と思う。それが日本だ。

がん治療を終えて、もう何もかも終わった、と幸せになっていいのに、ある時、彼女はいいようにない不安にとらわれた。それは何なのか。彼女が自分と向き合い、見つけた答えの一つは、つまりは、絶対に手放したくない日常を取り戻した、ということだった。人はいつか死ぬ。

良い本だった。共感もしたし、いくつものことを学んだと思う。私も夫も持病を持つし、年齢も重ねてきた。いつこの本と同じ状況になるとも限らないし、そうでなくてもいつかは死ぬ。限られた時間の中で、どう生きていくか、を改めて問われる時が来ている。だからこそ、ちゃんとしよう、怖い時はこわがってもいいし、苦しい時は苦しんでもいいから、周囲と助け合いながら、最後までしっかり生きようと思う。

人間ドックが終わっても、まだ読み終えなかった本を、あんまりパッとしない検査結果を見た後に読み終えた。私も、私も大事に生きていくぞ。