135 高橋秀実 集英社インターナショナル
高橋秀実氏が胃がんで亡くなった。62歳だったという。若すぎる。まさか、と思った。私は、この人のノンフィクションのファンである。大真面目なのに、どこか膝の力が抜けているというか、明後日の方向にいきそうになるというか、それでいて実は鋭いというか。彼にしか書けないものをいつも書いている人であった。理屈をこねまわしているうちに、その理屈に支配されてどんどんわからない場所にはまり込んでいくのが楽しめた。そこが好きだった。
この「ことばの番人」は今年の9月に発行されたものである。あとがきの日付は6月。亡くなったのが11月だから、あっという間じゃないか。しかも、あとがきには妻が子宮体がんと卵巣がんの診断を受けて緊急手術を受けることになったとある。ショックで断筆も覚悟し、妻に叱られたそうだ。そこでがん関連の医学書を読み漁ったとあるけれど、ご自分のがんについてはその時点では判明していなかったのだろうか。
どうすればうまい文章が書けるのか、と高校生に問われて、高橋氏は「うまく書こうとしないほうがよい」と答えた。だが、本当はこういうべきだったのだ。「誰かに読んでもらえばよい」と。彼の場合は、原稿はまず妻に読んでもらい、次に編集者、そして校正者に読んでもらう。彼らの指摘をもとに文章を直し、整えるから、文章は彼らとの共同作業である、という。世の中には優れた書き手などおらず、優れた校正者がいるだけではないかとさえ思う、とまで彼は言う。
この「校正」という作業を本書はとことん掘り下げている。言葉とは、理解とは、文字とは、意味とは、誤読とは、誤字とは、翻訳とは・・・・。様々な視点から、本来目立たない裏役である「校正」という仕事が語られる。そこには驚きの事実が次々と登場する。何しろ日本最古の歴史書・文学書である「古事記」を撰録した太安万侶は実は校正者だったというからびっくり。古事記以前の「旧辞」と「先記」の誤りを正して後世に伝える、と序章に書かれているそうだ。もっとも「旧辞」も「先記」もその存在は確認されていないらしいが。
ところで、
「讃岐うどんはもろちん、骨付き鶏も素朴にうまい。」
上記の文章に何か嫌な感じはあったか?どこを校正すべきか?という問いに、私は即座に答えることができなかった。どうやら私は校正者に向いていないらしい。
この本を私は入院中の病室で読んだ。白内障の手術で一泊入院したのである。片目での読書は多少不自由であったが、入院中のベッドは、旅先の列車内くらい読書がはかどる。本の雑誌一冊とハードカバーを三冊持っていってよかった。一冊減らしたらたりなくなるところであった。