3 張 莉 二玄社
作者は中国から日本に留学して京大で漢字学を学んだ女性。漢字の字源を調べると、現在の意味と共通しているものも多くあるが、違った意味になっているものもある。それは、古代と現代の宗教観念や社会制度の相違によるものだ。日本に来て著者が驚いたのは、現代中国語よりも日本のほうが漢字の古い意味をそのまま携えていることだった。中国南部の古音である呉音も日本には残っているという。たとえば「大」は漢音で「タイ」だが呉音では「ダイ」。「仏」は漢音で「フツ」、呉音で「ブツ」。「老若男女」(ロウニャクナンニョ)や「大名」(ダイミョウ)、「建立」(コンリュウ)「勤行」(ゴンギョウ」も呉音だという。中国では忘れ去られた音が日本では残っている。しかも、日本はカタカナやひらがななど、漢字をもとにして表音文字を製作し、漢字と併用している。さらに漢字には音読みと訓読みがある。これほど自由自在に漢字を使いこなしている国はほかにはない。だからこそ、日本で漢字を研究することに意味がある、ということなのである。
というわけで面白そう、と読み始めたのだが、題名通りかなり「怖い」本であった。漢字というか、文字というものはそもそも為政者、権力者のためのものである。そして、彼らは常に征服、被征服の歴史を繰り返してきた。ということは、象形文字である漢字が表すものは、そうした絶え間ない戦いの中で生まれてきたのだ。
例えば「幸」という漢字は、なんと漢字の元である甲骨文字においては手かせの形を象ったものである。ある人が罪を犯して刑を受けたが、手かせだけで済んだのでほっとした、その気持ちが「幸」なんじゃないか、だと。
「道」という字は、古代中国では異族の頭(切り取ったもの!)を掲げて道を進むことで道を清めたという。首を携えて道を祓い清めて進むのが「導」、それによって祓い清められた場所が「道」。どう?ちょっとぞっとしない?
「首」とは本来、頭髪と目の象形文字から発しているので「頭」の意味なんだそうだが、日本では斬首の切断部分が頸部であったため、本来「あたま」を指す「首」が「くび」になったそうだ。おお、これも恐ろしい。
そんなこんなで、結構恐ろしくも陰惨な字元が多い。もちろん、「楽」は鈴をもって鳴らす女性の姿、なんて楽しい話題もあるにはあるんだが。病院の待合室でこれを延々と読んでいたら、だんだん気持ちが暗くなってきて、そんな自分に思わず笑ってしまった。
確かに、こわくてゆかいな本であった。漢字って、奥深い。