27 藤野千夜 双葉社
妻、英子八十八歳、夫、新平、八十九歳。深夜に妻がしくしく泣いていることに夫が気がつくところから物語は始まる。大丈夫かと聞くと、大丈夫だと答えて、眠る。翌朝は、何もなかったように朝食を作る妻である。
新平は、毎朝健康のために45分くらいかけて体操をし、ヨーグルトにきなこ、すりごま、干しぶどうを入れて食べる。梅干しに米ぬか、はちみつも食べる。独自の健康食である。それから、散歩に出る。いろいろな建物や、時に画廊を眺めて周り、馴染みの洋食屋でウエイトレスに茶々を入れながら、ガッツリと昼食を取る。元気である。
妻が、夫の昔の浮気を現在進行系のようになじるようになる。長男は引きこもりのまま五十を超え、次男はいつの間にか女性になってフラワーアレンジメントをやっている。三男は、親から金をせびり取ってはアイドル撮影会を企画する会社を継続させている、赤字のままに。そんな家族の中で、新平はひたすら意気軒昂である。昔のことを思い返しながら、日々を元気に歩き回る。妻が認知症の疑いがあれば、ともに病院に行き、健康診断を受ける。妻がついに倒れれば、介護を請け負うのはひとつ上の新平である。子どもたちは、本当に役に立たない。そんな物語である。(ああ、これは本当にリアルだなあ、と私も思う。夫が倒れたら私が、私が倒れたら夫が介護するしかないだろうなあ、と私達夫婦もまた、現実にはそれしかないと思うからである。)
中年に達した子どもたちの情けなさには愕然とするが、それを意に介さない新平の前向きな強さに、いつの間にか飲み込まれている。自分で選ぶ、自分でなんとかする、くよくよしない。そんな新平の姿勢に、明るい気分になっていくのが不思議である。現実は厳しく、そして、何も良い将来なんて待ってそうにないのに。
実在する様々な場所が登場する。池袋の江戸川乱歩邸、フランクロイドライト建築の自由学園の旧校舎、会津若松のさざえ堂・・・。どこも訪れたことのある、魅力的な建物である。それらが物語をいっそう引き立てている。
歳を取ることの重さ、辛さ、苦しさなど意に介さず、日々をずんずん突き進む新平の姿は圧巻である。でも、これは物語だからなあ、と思っていると、最期に新平自身が私達読者に啖呵を切る。それは見事である。なんと書いてあったかは、ここに書くわけには行かないけど。それを、読まなくちゃね、と思う。