ちいちゃんのかげおくり

昔から、戦争を、悲しい、辛いものとして、情緒的に描く児童文学が、あまり好きではありませんでした。例えばテレビドラマの、「難しいことはわからないけど、戦争はいけないって事だけは、私にもわかるわ」みたいな、ありがちな台詞も嫌いでした。

重要なのは、その、難しい部分です。情緒では割り切れない部分です。原因があり、調整、論争、葛藤があり、決断があり、たくさんの手続きを経て、戦争は起こされます。自然災害とは違うのです。情緒的に悲しんだり恐れたり、難しいことはわからないと切り捨てては、決していけないと思うのです。

山中恒という児童文学作家がいます。彼は、戦争中、立派な軍国少年でした。戦争が怖いなどと考えるのは臆病者だとずっと考えていました。だから、彼が、戦争の恐ろしさを知ったのは、戦争が終わってからです。降り注ぐ弾丸も、火の海も、戦死も、その現実に直面している間は、恐ろしいものではありませんでした。戦争が終わって、周りの大人たちが手のひらを返したように、違うことを口々にいい始めた、その瞬間から、彼は戦争の恐ろしさ、愚かしさを知ったのです。

彼は、当時の多くの児童文学者がやったように、戦争は恐ろしい、という物語は書きませんでした。その代わりに、こどもが楽しめるもの、くだらないと言われても、大笑いできるものを描き続けました。その一方で、集団がひとつの方向に向かって走り出す中、自分ひとりで立ち止まること、自分で何が正しいかを突き詰めることの絶望的な困難さをも、まったく別の物語で、描いていました。

戦争を描く、とはそういうことなのだ、と私は思いました。受動的に、苦しみ、悲しむだけでなく、何故、そんなことが起きたのかを、しっかり考えられるか。その中で、自分が何をできるか選べるのか。そして、それはどんなにたいへんなことか。そこまで描ききらねば、伝わらないものがある。彼の姿勢こそが本物である、と私は思ってきました。

・・・何を書いているのでしょうね、私は。

いま、おちびが、学校で「ちいちゃんのかげおくり」を習っています。音読の宿題が出て、毎日聞かなければなりません。ああ、なんと情緒的な・・と嫌な思いがする・・はずだったのに、私、不覚にも泣きそうになったのです。毎日、涙ぐんでしまいます。そして、そういう自分に驚いてしまうのです。

小さい子が、火の海の中で、母と兄とはぐれてしまいます。何人かの大人の善意で、家のあったところに帰るけれど、おかあちゃんもおにいちゃんも帰ってきません。でも、きっと、帰ってくる。ちいちゃんは、そう信じて、じっと待ち続けるのです。小さい子が、怖い、辛い、悲しい思いをする場面、それでも、家族を信じ続ける気持。それが、もう、ダメなのです。胸が、締め付けられて、どうしようもないのです。

若いころは、同じ物語を聞いても、ああ、嫌だ・・としか思わなかったと思います。そこに留まってどうするの、とイラつきさえしたかも知れません。でも、今は、心が揺れるのです。小さな子どもを生み、育てた経験が、私をそうさせるのだと思います。それが、成長なのか、後退なのか、評価するのはあまり意味がないことかもしれません。ただ、私は自分が変わったな、とおちびの音読を聞きながら思います。

おちびは、国語で「ちいちゃんのかげおくり」を習い、総合の授業で、地域の戦争体験者の方々・・実際に兵隊に行った方と、内地で空襲にあった方、原爆雲を見た方のお話を伺いました。彼女は、ちいちゃんを「かわいそう」と感じるのではなく、「怖い」と感じているようです。戦争が起こらないのか、また爆弾が降って来ないのか、そんな怖いことが、自分には本当に起こらないのか。それが心配で心配でならないようです。

おちびは、夜、ひとりで寝るのを嫌がるようになりました。夕方、暗くなってくると、なんとなく心細く、「怖い」と私に抱きついてきます。今まで、安全だったこの世界に、そんなに恐ろしい、怖いものがあると知ってしまったからでしょう。私は、怖がる彼女が不憫でならない。でも、私が出来るのは、「今は」この国には戦争が起きていない、「きっと」これからも起こらない、起こしてはいけないね、と言う事だけです。私はあなたを守ってあげる。と、いくら言っても、ちいちゃんだって、お母さんとはぐれてしまったのですからね。

悲しいこと、辛いことを子どもに教えるのって、何なのでしょう。そういう事実を、子ども達も知っていかねばなりません。今起きているさまざまなこと、同じ年でも、生まれた場所や環境によっては、本当にひどい思いをしている子がいることも、教えねばなりません。そこから出発して、どうする?私たちは、何が出来る?どこに、希望がある?子どもに向かって、何がいえるのか、私はどうやって彼女を励ましていけるのか。

「ちいちゃんのかげおくり」を聞きながら、毎日、私は考えさせられて、なんだか辛いのです。辛いと思ってしまう自分を、もてあましているのです。

2007/11/19