67 内田也哉子、中野信子 文芸春秋
樹木希林と内田裕也の一人娘、内田也哉子と脳科学者、中野信子の対談。『文春オンライン』掲載の対談と、「週刊文春WOMAN」誌上の対談に書き下ろしを加えてまとめたもの。
樹木希林は晩年、ひどく祭り上げられて立派な人にされてしまっていたが、本来、ちょっと変わったベテラン俳優というべき人であったと思う。演技力の凄みは言うまでもないが、少なくとも立派な人として崇め奉られる人ではないと思う。本人もそれがわかっていて、最期、自分を持ち上げられることを嫌がっていたフシがある。それは非常に健全な感覚だ。
結婚して数ヶ月で別居、以降一度も同居しなかった両親。生まれた頃にはもう父は家におらず、父と過ごした時間は生涯数えても数十時間ではないかと内田也哉子はいう。普通の家庭に育ちたかったのに、厳格でストイックな母と、無茶苦茶にロックンロールな父がいて、孤独に育った彼女。両親の有り様に、心を痛め続けた人生だっただろう。想像すると胸が痛い。
中野信子に、生物学的に見ると内田家はノーマルである、と言われて内田也哉子はものすごく安心した様子である。それがこの本における大きな発見の一つになる。一方、中野信子は、全く互いに必要としあわない、心の通わない両親のもとに生まれ、結局彼らは離婚している。そういう家庭に育った中野と内田の対談が、実は普遍的な夫婦のあり方、家族のカタチに切り込む結果となっているのは興味深い。
内田裕也は、そのあまりの暴れっぷりに、母親が少年時代の彼を連れて精神病院を受診させ、どこかおかしいのではないかと調べてもらったという。「ロールシャッハ・テストまで受けさせられた俺の気持ちがわかるか?」と裕也はそのことを心の傷として娘に語ったと言うが、中野も也哉子も、「今なら何らかの診断がつくかもしれない」と冷静にいう。
このあたりは、私も、今なら何らかの診断がおそらくついたであろう父を持つ身としてよくわかる。父親の内面に潜む、どうにも抑えがたい、誰にも制御できない嵐に、本人よりも周囲の家族こそが巻き込まれ、振り回され、苦しむことをよく知ってるからっだ。
内田也哉子は19歳で初恋で結婚してしまったような状態であった。以来、ずっと仲のよい夫婦と世間では思われているが、実は結婚後すぐに離婚話がでていたという。互いの性格や価値観の違いがあまりにも大きすぎて、これは無理だ、と思った。その時点で妊娠がわかったので、もう少し頑張ってみるか、となったという。
内田の夫、本木は、非常にネガティブな人である。演技力を磨き、大きな賞を受賞してもそれを喜べない。外交的には喜んでも見せるが実は内心で「これがピークだ。あとは落ちる一方だ。」と絶望しているという。一方、也哉子は、もっと喜べ、現状を楽しみたい、と思う女性で、結婚以来、本木を少しでもポジティブに引き寄せしょうとしてきたという。が、中野信子は、本木のあり方を、それはそれを楽しんでいる部分もある、と指摘する。現状を肯定しないことで、常に高みを目指す自分が好き、ということに過ぎない、と。中野自身もまた、そういうタイプであり、「ここにお花畑があるのに、何故ここで遊ばないの?」と問うような人が夫である、という。その違いがあるからこそ、夫婦であり続けられる、と。也哉子は、夫を少し理解できた、と笑う。何十年も連れ添っても、夫婦ってまだそんなものか、と私も笑ってしまう。
なかなか興味深い本であった。我が家は、どうだろう。私は結構お花畑で楽しんでしまうタイプである。夫は、人に認められることよりは、自分が価値あると思ったものを大事にするタイプである。どちらかというと似ている夫婦なのかもしれない。私は本木みたいな夫は無理だ。いつも高みを目指し続けるのはとても疲れるし、付き合ってらんねーよ、と逃げ出したくなるかもしれない。
・・・なんてことをつらつら考える本であった。家族って、一歩間違えると毒を与え合うような関係性にも陥る危険がある、と思う。少なくとも私は親から栄養ももらったが、毒も与えられた。だから、せめて我が子達には毒をできるだけ少ししか渡さずに済むように、適度な距離感を持って生きていたい、と願っている。