まんが うつのみやの歴史

まんが うつのみやの歴史

138 広井てつお・まんが 島遼伍・シナリオ  特定非営利法人宇都宮まちづくり推進機構

図書館の地域別郷土資料コーナーで「うつのみや絵葉書風物詩」の隣に置いてあった本。地域の歴史を学ぶことは私の趣味のひとつでもある。大きな歴史の教科書には載っていない、限定された地域の人々の昔からの暮らしを知ることで、新しい歴史の側面が見えてくる。

このまんがは1996年に発行されたものが2014年に改訂出版された本である。だとしても、もう十年以上たってしまっているのだなあ。宇都宮の歴史を、宇都宮氏五代目城主・弥三郎頼綱(僧・蓮生)、江戸時代の学者・蒲生君平、老中・本田上野介正純、詩画家・川上澄生の四人が案内、解説するという趣向である。

我が家は転勤族であった。転勤するとその土地の県民性を感じることがある。夫は宇都宮支店に配属されたとき「栃木の人は穏やかで親切だ」と言っていた。確かに栃木は謙虚な気風であった。

宇都宮城が戊辰戦争で焼けてしまったことは私も知っていた。だが、それは親藩であった宇都宮城を政府軍が攻め落としたのだろうと勘違いしていた。実際は、宇都宮城の人々は、幕府側につくか、徳川側につくか、最後までもめた結果、わずかな軍勢で城に残った結果、土方歳三率いる旧幕府軍に攻め込まれ、城と街を焼失したのだった。そういえば、幕末に水戸藩の天狗党が挙兵し、尊王攘夷に加担せよと宇都宮藩に詰め寄ったときも、幕府が認めない攘夷論には同意できないと断っている。できるだけ争いは回避しようとする宇都宮の人たちの姿勢が見て取れる。やはり栃木は穏やかな県民性なのだろう。

栃木ではないが、私の父は北関東の出身である。例の天狗党事件のあった元水戸藩、茨城の人である。天狗党事件は、実は他人事ではない。幕末にあったその事件は長く尾を引き、その後の茨城県の運命を大きく左右した。そのことを、私は知ってる。だから、天狗党の誘いをきっぱりと断った宇都宮藩の判断に感心する。

私たちが毎日生活している地元にも、過去があり、歴史がある。身近な場所の歴史を知ることは今を生きる私たちにも大きな意味がある。知らずに訪れた場所の歴史を知ることで、今そこに生きる人たちの中にその面影を見つけることもある。歴史とは、本当に興味深く意味深いものだ。