ウマし

ウマし

2021年7月24日

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「ウマし」伊藤比呂美 中央公論社

「道行きや」以来の伊藤比呂美であるが、実はこっちのほうが古い。2018年3月出版である。

食べ物にまつわるエッセイが集めてあるのだが、さすが詩人。言葉を生業とするだけあって、本当にうまそうに描き出す。鰻でも、ポテトチップスでも、卵かけご飯でも、クリームパンでも、実にうまそうで、夜にお腹が空いて困った。夫などは、この本に登場するラズウェル細木の「う」といううなぎにまつわる漫画のエピソードからその漫画が読みたくなり、漫画を手に入れて読んだら、今度はうなぎが食べたくてたまらなくなり、ずるずるとどこまでも引っ張られていったという。

たとえば「牡蠣とスコッチ」というエッセイ。スコットランドのアイラ島で生牡蠣にシングルモルトを滴らせて食べた描写がこうだ。

冷たくて、冷たくなかった。冷たかったのは冷蔵されてあった牡蠣の体液で、冷たくなかったのはスコッチだ。牡蠣は塩っぽくて、スコッチはほろ苦かった。牡蠣は海臭く、スコッチは土臭かった、牡蠣は甘く、そしたらスコッチもなんだか甘く、二つの臭さと二つの甘さが融合したら、牡蠣には微弱な電流が流れたようで、スコッチには金属音がカンカンと響いたようで、下記はつるりとろりと喉を通り、スコッチは透き通り、牡蠣は若くて生々しく、老いたスコッチは牡蠣のミネラルなミラクル力でぐんぐん若さを取り戻す・・・。
 てなことを一瞬の内にあたしは味わった。アイラ島から大西洋の荒波に飛び込んで未知の味覚島にたどりついたかと思ったくらいだ。
                   (引用は「ウマし」伊藤比呂美 より)

それから、伊藤比呂美の卵好きを熟知している料理研究家の枝元ほなみに「比呂美ちゃんのためにあるような料理をとうとう見つけたから、今から行こう」と手を引っ張られていった、三田のコートドールの「黒トリュフのかき卵」。ひとくち食べただけで、味のすべてが獰猛である、と感じ取り、そこから枝元ほなみと自分の今までの獰猛な人生を感じ取ったという。人生の最後には、これを食べたいと言ったら、枝元ほなみが、「必ずテイクアウトしてきてあげる、ワイン付きで」と請け負ってくれたので、もう、伊藤比呂美の浄土行きは確実なのだという。

食べ物の話は楽しい、嬉しい、幸せである。辛い思い出が背景にあっても、うまいものはうまい。うまいものを食べることは人生の幸せなのである。ということをしみじみ感じ取って、良い本であった。

2020/8/25