107嶋津輝 東京創元社
この作者の「襷がけの二人」を前に読んだ。その時も読んでから「へー、直木賞候補だったんだ」と気がついたのだが、今回は「へー、直木賞受賞作だったんだ!」と驚いた次第。図書館に予約を入れる段階で、選本の動機をすっかり忘れてしまう私。老人力が付いたなあ。あ、昔からか(笑)。
上野の片隅にあるカフェ西行。本当は「カフェ・アウグスティヌス」のはずだったのが、長い名前を間違えて「アウグイステヌス」とまるで鳥の名前のような看板を作ってしまい、それを隠すように置いた西行法師の人形が目立って、いつの間にか「カフェ西行」と呼ばれるようになった。そのカフェで女給を務める何人かの個性豊かな女性たちの物語がオムニバス形式で並べられ、時がたっていく。戦前から戦後にかけて様々なことがあった。
夢二の絵のように美しいけれど、ちょっと年増の、字の読めないタイ子、学があるのを鼻にかけるが文筆を目指してもうまくいかないセイ、ついつい噓をついてしまう美登里、華族だと言い張るぼんやりした園子。誰も、どこにでもいそうな普通の人たちだが、一人一人には生き生きした人生があり、苦労があり、喜びがある。当たり前の人生が、どんなに大事で価値あるものか、人が生きることの瑞々しさが描かれている。兄弟や夫や子供を戦争に取られる苦悩も、戦争を乗り越えた後、どれほど傷つき、それを克服していったかも暖かく語られる。
いいなあ、と思う。普通の人生。誰だってちょっと人とは違ったり、変だったりするものを持っていて、でもそういうものも含めて、人は自分を生きている。それぞれが、互いに励まし合い、認め合い、ときに許し合って、当たり前の日常を、それでも頑張って生きているということが、見事に描かれている。人は信じるに値するし、助け合って生きていくってすごいことだ、と思えてくる。それって、大きな事件も、傑出した人物もいない物語だからこそ伝えられる力強いメッセージかもしれない。
