コンビニたそがれ堂

コンビニたそがれ堂

2021年7月24日

「コンビニたそがれ堂」村山早紀

パルティオで出会った素敵なお友達に教えていただいた本です。
ちょっと不思議な、そしてしみじみと暖かい本でした。
行こうと思ってもいつも行けるとは限らない。そして、探し物がある人は、きっと見つけることができる、銀髪に金色の目のおにいさんのいるコンビニたそがれ堂。

10分間というのは、意外に短くて、ひとつひとつのエピソードが短くても、読み聞かせに使うには少し長いかな、と思いましたが、最初のストーリーの男の子がとても魅力的で(ちょっとジュニア的で)第一篇の途中まででも、使ってみたくなりました。

オトコは硬派でなくちゃ、と思い込んでいるけれど、本当は小さな動物が好きで、傷ついた猫をお小遣いで獣医に連れて行って寝ずに看病するような心温かい少年。かっこつけて、大好きな少女を傷つけてしまったことに、自分も傷ついている・・。いいですねえ。

ひとつひとつのエピソードが切なくて、暖かくて、胸にしみました。傷ついた心が、そっと癒されていくような、素敵なお話です。

あとがきが、良かったのですよ。少し引用しますね。

春から夏にかけてのことでした。わたしは、季節の移り変わりを、病院にお見舞いに行きながら、感じていました。毎年季節のその時期は、空の青さも緑も、美しいときですが、その年のひときわあざやかに感じた空と緑の色は、いまもおぼえています。
それは、いままで当たり前に身近にあったのに、じつは、じぶんとは関係なくそこにありつづけ、これからも、父やわたしの生死には関係なく、ずっと存在しつづけるものたちのかがやきでした。とても美しいけれど、けっして手にはいらない宝物、手をのばしても、とどかない、だからよけいにかがやいて、美しく見えた、宝物でした。
地上はとても美しく、過去も未来も美しく、人間ひとりの生死どころか、国家や、人間の社会や文明そのものが栄えても、たとえ滅びても、それとは無関係に、ただ美しいものなのだな、と、わたしは、そのとき実感をもって、感じたような気がします。

(「コンビニたそがれ堂」より引用)

わたしも、こういう感覚を確かに感じた時期がありました。美しい自然に、素直にまっすぐに謙虚に向き合える心が、物語の中から伝わってきます。この心は、たくさんのつらいことや悲しいことを乗り越えた明るさが与えてくれるものだと私は思います。コンビニのお兄さんのように、そういう心をわたしも子どもたちに少しでも渡せる存在になりたい。大人って、そういう役目だ、と思ったりしました。

大分前ですが「病院で死ぬということ」という映画(山崎章朗さんの原作も読みましたし、とてもすばらしい本でしたが)を見たとき、残り少ない余命を静かに大切に生きる人たちのエピソードの合間合間に、美しい空や咲き誇る桜の映像が映し出されて、その輝きに圧倒されたことがあります。

限られた命だからこそ、大切にしたいし、自然の偉大さ美しさに包まれたい。毎日、そういう心のゆとりがもてたらいいな、と思います。

2007/4/26