58 平井美帆 集英社
戦前、日本は満州を植民地とし、そこへ開拓団を送り込んだ。国策として日本中で開拓団が組織された。もともと住んでいた村の分村として、家族親族、近所の人たちが集団で移住していった。そこでの人間関係、権力関係はそのまま満州でも維持された。
寒村で貧困にあえぐ農民は、新天地で土地と家を与えられると約束されて、希望に燃えていた。けれど、彼らが与えられた土地は、もともと現地の満州の人たちのものだったし、割り当てられた家も、満州の人たちを追い出したものだった。放逐された現地の人々は安い賃金で働かされるか、流浪の民になるほかなかったという。
そんな風にして手に入れた開拓地であったが、彼らは農作業に精を出し、それなりの生活を維持するようになった。そこへ迎えたのが敗戦である。開拓民を守る役割だったはずの関東軍は、敗戦を知った彼らが指示を仰ぎに行ったとき、宿舎はもぬけのからで、とっくに逃げ出した後だった。日本に引き上げるために、開拓団は集団で難民生活に入ったが、暴徒化した現地民に襲撃された。進駐していたソ連軍に助けを求めた団の幹部は、保護を受ける代わりに開拓団の若い女性たちを「接待」に出すことを決める。
みんなの為に人身御供となった若い女性たちは、拒絶もできず、逃げ出すこともできず、死ぬこともできず、壮絶な日々を送り、そこで亡くなったものも多くあった。生き残って何とか引き上げてきた人たちを訪ね歩いて少しずつ当時のことを聞き出して書き上げられたのが本書である。
あまりのつらさに何度も読み止まってしまった。開拓団のために身を犠牲にした彼女たちは、帰国後、その開拓団からも差別され、侮辱的な扱いを受けているのだ。何十年もたってから「お前はロスケが好きだったから何度も『接待』してたな」みたいなことを言われたり、汚れている、と言われたり。操を守るために手りゅう弾自決した他地域の女性のエピソードに「ヤマトナデシコの誇りを感じた」と堂々と話す人は、自分が団の女性を差し出したおかげで生きて帰れたことを忘れているかのようだったという。セカンドレイプが何年も何十年もたってからも起きていたのた。そして、非常時だったから、しょうがなかったから、というだけで、女性を差し出した側は、さしたる罪悪感もなく、その事実をなかったことにしようとしていた。けれど、誰がそんな経験をなかったことにできるわけがあろうか!その後の人生は、どんなにつらいものだっただろうか!
開拓団自体が被差別部落でもあって、そうした差別からも脱却しようと新天地を目指したというのに、女性たちを利用し、差別し、事実を抹殺しようとしたという事実があることにも、私はショックを受けた。虐げられる者たちが、さらに誰かを虐げて、それを何とも思わない。
女性たちをソ連に差し出すに際し、事後の消毒処理などを請け負わされたより年若い女性たちもいたという。だが、そこで不思議なのは、ホースで消毒薬を流し込むなどという手はずを誰がどのように知り、手配していたのかということだ。どうやら、そこには、外部から来た従軍慰安婦の管理者がかかわっていたらしい。つまり、彼らは女性に利用価値があることや、どのようにそれを遂行したらいいかわかっていたのだし、おそらくそれを団幹部に助言していたのだろう。
悪いのはソ連兵だけではない。日本の兵隊たちも、中国や朝鮮で同じように現地の女性を慰み者にしてきた。その経験があったからこそ、彼らは女性を差し出すことをすぐに思いついたのだ。そして、それは昔の話ではない。いまだって、例えばウクライナで同じようなことが起きているかもしれない。
当時のことを知っている人は、どんどん亡くなっている。よくぞこの本を書くのに間に合ってくれた、と思う。まだ私たちの知らないことが、本当はたくさん起きていたのだと思う。つらい思いを話してくれた証言者たちの勇気を思うと頭が下がる。聞き出して本にした著者の熱意にも敬意を持つ。こうしたことを、私たちは知らねばならないし、忘れてはいけない。