デンマーク・イタリア旅行記10(総括篇)

デンマーク・イタリア旅行記10(総括篇)

2024年6月13日

というわけで、無事に帰国した私たちでありました。

旅の総合的な感想としては、やっぱり日本は気遣いの国というか忖度の国なんだな、ということ。それほど立派なホテルに泊まらなかったせいもあるのかもしれないけれど、ヨーロッパのホテルの備品はタオルと石鹸が基本。石鹸は、なぜだか手を洗うとぬらぬらして、なかなかすっきり泡落ちしない。お風呂にはシャンプー・コンディショナーが備え付けられていないか、あってもボディとヘアが兼用でコンディショナーは無しのことが多い。スリッパはほぼ装備されていない。歯ブラシも期待できない。タオル類も、エコのため、できれば交換しないでくれたらうれしい的な貼り紙がある。もちろんボックスティシュもないことが多い。その反面、北欧のホテルにはなぜか必ずアイロンとアイロン台が備え付けられている。そういえば去年行ったジブラルタルにもあったっけ。もちろんウォシュレットなど望むべくもないが、その代わりビデはあったりする。



日本のホテルはこれが必要かな、と想像できるサービスは言われなくても事前に提供してくれる忖度がある。ヨーロッパは、最低限だけそろえて、あとは必要なことを要求しさえすれば答えてくれる。だから、トイレットペーパーがない!というとすぐ持ってきてくれるし、私が足を痛めたときは、氷やあて布を何度も無料で提供してくれた。感謝している。

それから、観光地のトイレは実にシンプルで、流すボタンが一つあるだけ。ローマでは便座すらない場所もあった。椎名誠の「ロシアにおけるニタリノフの便座」を思わず思い出したほどだ。毎度のことながら、帰国すると日本の空港のトイレにはウォシュレットやら音姫やら消臭やらのボタンが山ほどあり、使用方法の貼り紙がもいくつもあることに改めて驚く。その過剰さに、なんだかくらくらするほどだ。

お土産について。旅の途中は荷物になるので、基本、後半にならないとお土産は買わない。そして、今回は娘にヴェネツィアングラスのピアス、息子には小皿、私の母にクッキーとチョコレートを買ったくらい。あとは市場で乾燥パスタとパスタソース用の乾燥トマトやニンニクや各種ハーブが入った小袋を数種買っただけ。このパスタソース用のシーズニングは、パスタだけじゃなくてアヒージョやアクアパッツァを作るのにとても重宝した。そもそも私たちは買い物が好きじゃない。海外に行っても何も買わないことが多く、あとでもったいなかったかなあ、と思ったりもする。でも、イタリアで買えるものって、今じゃ日本でもたいていは買えてしまうので、荷物を増やしたくない思いが先に立つ。

帰国後はしばらく体を押すとオリーブオイルがにじみ出るんじゃないかと思うくらい、イタリアンはオイリーであった。美味しかったんだけどね。和食がやたらと食べたくて、帰国直後、時差ボケに苦しみながらおからで卯の花を作ったり、煮物をコトコト煮たりせずにはおられなかった。シンプルな野菜料理やあえ物、酢のものが恋しかった。でも、その反動で、最近、やたらとオリーブオイルを多用した料理を作ったりしてるから、私ってば天の邪鬼。

北欧はシャイな人が多い。だが、デンマークは北欧の中では南に位置するせいか、陽気なシャイであると感じた。楽しそうに生きてるなーと思った。

イタリアでは、電車の中、船の中、バスの中、みんなおしゃべりだった。日本の公共交通機関は結構シーンとしてるでしょ。でも、イタリアではみんな大声でおしゃべりしていた。相手がいなくても、スマホに向かってしゃべっている人が多かった。そして、地下鉄で路線図を不安そうに見ているだけで、どこ行きたいん?何困ってるん?と話しかけてくれるような親切に出会った。これと同じ経験を日本でもしたことがある。大阪の地下街だ。大阪人はラテン系だ、と言う人がいるけど、本当だ。そういえば、大阪の電車の中は、結構うるさい。私は、イタリア人と大阪人は仲間なんだと思う。

ローマの信号は、青の時間が短かった。渡り始めてすぐ、道の真ん中に来る頃にはもう点滅していた。渡り終える前には既に黄色になる。ところが、黄色の時間は驚くほど長い。人々は黄色になってからでもゆったりと渡り始める。長い黄色の果てに赤になったとしても、特に急ぐことも無く、堂々と赤信号を渡っていく。ヨーロッパでは、車さえ来なければ赤信号でもわたることは多いと知っていたが、車を待たせてもなお、赤でゆっくり渡るのだなあ。

イタリアは思った以上に街そのものが歴史的、文化的遺産であった。教会や博物館にはこれでもかというくらい贅をつくした芸術品があふれかえり、ありすぎるが故にひとつひとつを味わう余裕が持てなかった。歴史の圧を浴び続けた気がする。その中での日々の生活は、現代的な利便性とはかみ合わない部分もある。だとしても歴史を大事にその中で生きているのがイタリア人なのだろう。イタリアは、本物だ、とつくづく思った。

これは年齢のせいもあるのだろうが、時差ボケが壮絶であった。完全回復には三週間かかったかもしれない。眠いのに眠れない、寝付いても二時間で目が覚めて、その後どうしても眠れない。日中はボーっとしていた。これは想像以上に辛かった。また近々モンテカルロに行く予定があるのだけれど、今から時差ボケが怖い。メラトニンが良いという情報を友人からもらったが、日本にはメラトニンのサプリはないらしく、ただ、リポビタンDに入っているらしいので、次回は帰国後にリポビタンDを飲もうかと思っている。

以上、長い長い旅の記録でした。こんなだらだらした文章を読んでくださってありがとうございました。また、どこかへ行ったら旅の記録を書こうと思っています。よろしくお付き合いくださいませ。

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