ドリトル先生航海記

ドリトル先生航海記

13 ヒュー・ロフティング 岩波少年文庫

「ドリトル先生航海記」を読み返すのは人生何度目だろう。子ども時代に何度も読み返し、2016年には福岡伸一さんの新訳でも読んでいる。今回の再読はかつての井伏鱒二訳。近所にできた新しい小さな本屋で行われた古本市イベントで購入した。

そういえば子供時代にドリトル先生の映画を見た記憶がある。ドリトル先生一行がピンク色をした海カタツムリの中に入って故郷に帰った姿を何となく覚えている。遠く知らない場所へ旅をして、そこで知らない人たちと関り、知らない風景を見て、知らない自然に触れる。子ども心に、なんてすごいことなんだろうと思った記憶もかすかにある。私の放浪癖はあのころから芽生えていたのだろうか。

古本市で買いはしたけど再読するのかなあ私、なんて放置してあったのに、読み始めたら新鮮に楽しめた。何度読んでも楽しい。時代背景もあるから時に人種差別的な部分や偏見も文中にないわけではないけれど、基本的にドリトル先生は公平で誠実でまっすぐな人である。こういう人と巡り合いたい、こういう人に私もなりたいと思ったものだったっけ。

本当はわたくし、本日、旅立っているはずであった。今ごろはヘルシンキ行の飛行機に乗り込んでいるはずだった。けれど、旅は取りやめに。

昨年11月末から不調を訴えた、遠方に住む老母。背骨の圧迫骨折が発見されるまでに一週間以上かかった。すぐに簡単な手術を受ければまた歩けるようになると説明を受けたのに、検査に手間取っている間に年末年始のスケジュールにぶち当たり、転院を余儀なくされた。年が明けてから元の病院に戻り、ようやく手術を受け、歩行訓練開始。一月下旬から三週間ほどの予定の旅に果たして出かけていいのだろうかと、私は逡巡し続けていた。母は、経過を見て一、二カ月はリハビリ病棟ですごし、その後の行き先を決めようということになった。相談すると、リハビリ療法士や病院のソーシャルワーカーが、退院後はもっと大変になるからこの病院でのリハビリ中に行ってらっしゃいと背中を押してくれた。よし、行くぞと心を決めて、最後の準備をとり行った。その二日後、病院から電話がかかってきた。母、コロナ感染。隔離され、面会も禁止となった。その二日前に面会に行った私は母に抱きしめられたし、耳元でたくさんしゃべっていた。濃厚接触者である。息をつめてしばらく過ごしたが、私は発症しない。だが、母の熱は下がらない。時は過ぎ、既に旅の出発一週間前を切っている。出発3日前、病院に尋ねたら、まだ高熱があり、食事もとれない状態であるという。結局、旅はキャンセルした。

昨日、さらに電話があって、今度は敗血症だという。隔離病棟は出た。コロナは治癒したものの、耐性菌に感染し、それが尿路感染から敗血症につながったらしい。面会に行った姉に気づくこともできず、苦しそうに眠っているという。旅のキャンセルは正解であった。

母の様態を気にしながら過ごす時間。ドリトル先生は私を励ましてくれる。行けなかった旅よりも壮大な冒険を見せてくれる。人はいつか死ぬけれど、それまでの間、どれだけ自分らしく生きるかが大事。母はそれをできたのだろうか。考え考え、私はドリトル先生を読み終えた。ヒュー・ロフティングはとっくに亡くなったけれど、今を生きる私に、生き生きとしたドリトル先生を見せてくれた。