91 繁延あづさ 婦人之友社
「鶏まみれ」、「山と獣と肉と皮」と辿ってきて、ついに繁延さんちの養鶏の発端となった長男の話。
小六の息子がゲーム買って、と言い出した。前にも何度か同じことがあり、そのたびにいつもやり過ごしていたのだが、その日は、お母さんがなんといっても放課後に買ってくる、と長男が宣言した。ああ、面倒なことに…と思う作者だが、その夕方、長男は「ゲーム買うのやめるからその代わりニワトリ飼わせて」と言いだした。意外な展開。
テーブルにはすでに長男手書きの「にわとり飼育計画書」が作成されておいてある。どうしよう、どうしようと親が困っている間に、親の友人に相談してアドバイスをもらったり、「自然養鶏法」などという本を入手したり、ついには近所の人に養鶏のための土地はないかと尋ねて回ったりする長男。このあたりの行動力は母親譲りなのか、大したものである。
夫が長男の授業参観に行ったとき、「命の重みは等しいか」というテーマの授業が行われていた。クラスの皆が「等しい」に手を挙げた中、長男だけはそうは思わない方に手を挙げた。「実際に経済動物というのがある」と彼は話したそうだ。「ペットが死んで悲しかったから」というクラスメートの意見に、先生は「そうか、君には体験があるんだね」といったという。でも、その晩、夕食を食べながら、飛んでいる蚊をバチンと叩いた夫は「命の重みが等しいと言ってたら、蚊も殺せないな」と言った。
長男は、実際に猟師が殺してきた野生の肉を食べ、養鶏を試みる過程にあって、命というものを、ほかのクラスメートよりもはるかに体験的に感じ取ってきたのだろう。その授業で、教師がどのように長男の意見を受け取ったのか、なんだか気になってしまった。
実際に養鶏は始まり、長男はしっかり働き、お小遣いも手に入れるようになった。産卵が減った鶏はさばいて食べる。そこまでが、長男の計画である。作者と長男は鶏の捌き方講習に参加し、実際にさばいておいしく食べた。それを終えて長男は「もうできる気がする」と言った。一回きりの記念体験ではなく、養鶏のサイクルとして続けることに自信がついたのだろう。
長男の自立心、実行力にも感心するし、それを時におろつきながらも認め、支え、共に行動する親のあり方にも心打たれる。思春期の面倒な時期を、時にぶつかり合いながらも共に過ごし、生き延び、成長していく家族。いいなあ、とつくづく思う。
この本も、とても良い本である。ゲームより、養鶏。楽しいことも、大変なことも、学ぶことも、はるかに大きい。
