プラハの古本屋

プラハの古本屋

74 千野栄一 中公文庫

1987年に出版された単行本の文庫化。初出は古いものでは1977年とあるから、かなり昔の文章だ。でも、面白い。作者はスラブ語学者で、チャペックやクンデラの本も翻訳している。

知り合いの商社駐在員T氏に誘われてとある古い街(おそらくチェコ国内)のビール屋へ行った著者。前の日に同じ店に来たというT氏は、そこにたまたま居合わせた人たちと過ごし、とても楽しかったという。彼らは今夜も来ていた。その一団と乾杯した後、T氏は、昨日彼らと話したのだが、と言い出す。この人たちの言葉は一つもわからないし、彼らも英語はできない。だが、二時間半かけて互いのことを話し合った。それが正しく通じているかどうかを、言葉のわかる著者に確かめてほしいという。

先方に尋ねると、T氏は日本人で、いろいろな品物を扱う商社の代表として工作機械をこの国に輸出しているという。やっぱり通じていた、とT氏は喜び、また彼らと乾杯する。ところで彼らはこの町の人ではない、とT氏は言う。自分の理解に間違いがないのなら、彼らはこの国のどこかの集団農場の人で、何かで表彰されてプレミアムを貰って賞金で飲んでいた。それを彼らに伝えると、その通り、サトウダイコンだという。昨夜はサトウダイコンという一語を理解するために多くの時間がかかったらしい。紙に絵を描き、角砂糖をコーヒーに入れて飲む真似をし。そして、単位面積当たりの収穫量が全国一位で表彰された、とT氏が言うと、それも正しかった。このことがわかるだけに昨夜は一時間近くかかったという。彼らには互いに大きな仕事をやり遂げたような満足感が漂った。

が、帰路、T氏は、話し合ったことが正しく伝わっていたのがわかってよかったけど今日はつまらなかった、と言った。何しろ二時間半の楽しみが五分で済んでしまったので、と。

このエピソードは、異国で地元の人と交流する楽しみを実に生き生きと描いている。言葉が通じないからこそ、人は、ありとあらゆる手段を使い、伝えようとする。絵を描いたり、ジェスチャーを交えたり、オノマトペに頼ったり。そして、何とか分かり合えた時の喜びといったら!

人と人とがわかり合おうとすることの神髄がここにはある。もしかしたら同じ言語を話す者同士だって、実は本当には伝えきれていないのかもしれない。言葉に甘え、頼っているがために取り落とすものもある。旅をすること、知らない場所へ行って、言葉も肌の色も習慣も食べ物も違う人と交流すること。そこから受け取るのは、本当に大きな、大切なものだ。それを表す印象的なエピソードが、この本の最初に載っていた。良い本であった。