僕はゆらいで、少しだけ自由になった
70 小西公大 大和書房
学生時代、人類学専攻を目指していた著者は指導教員との飲み会で「自分を壊せ」と諭された。
「人類学は、今、ここで起きているコトや世界を、自分事として引き受けるところから始まるんだ。異質なものを異質なものとしてみていても何も生まれない。研究の対象は世界でもあるが、お前さん自身でもある。えらそうな論理で世界を切り取ることも大切だが、その前にまずは世界に飛び込みなさい。世界の異質さを存分に味わって、もみくちゃにされて、自分を壊してきなさい。話はそれからだ。」
(引用は「ヘタレ人類学者、砂漠をゆく」より)
この言葉は本書の導入部分に出てくる。最後まで読んで読み返すと、実は最も本質的なことを語る言葉であったことがよくわかる。異質なものに出会い、それを自分事として受け止め、自分を揺るがし、壊すことで見えてくるもの。それが文化人類学なのだ。
作者はそこでインドへ向かう。出発にあたってパスポートから何からを空港でなくし、帰宅を覚悟したのちに荷物を発見し、飛行機に滑り込むという出発である。様々なトラブルの果てに、カースト集団にすら取り込まれていない「トライプ」という民族集団の青年パーブーと出会う。親しくなった人にお茶に招かれ、パーブーを伴って伺うと作者は居間に通されるが、パーブーは土間の靴置き場で待機しろと言われる。猛烈に抗議すると、じゅうたんをひっくり返し、角にできたむき出しのスペースに座ることが許される。それが招き手の最大の譲歩だったのだ。
そんなパーブーの故郷へ行った作者は様々な異文化に出会う。所有の概念、お礼を嫌う習慣、水浴の時ですら真っ裸になることは禁忌とされ、妹の手にすら触ってはいけない風習、そしてサソリの毒を抜く、科学的な根拠がないのに霊験あらたかな医師・・・。今まで当たり前だと思っていたことが次々にひっくり返されていく。その経験を通して、作者は自分が揺らぎ、変化していくこと、それでも変わらないものがあることを見つけていく。
ここからは自分語りである。私の大学の専攻は法学なのだが、入学して一般教養で出会った文化人類学に強く心惹かれた。こんな学問があるのなら、これを目指せばよかったと思いもした。私の家庭はガチガチのクリスチャンホームで「何が正しいか」は父が決めていた。父の意に沿わないことは神に背くことであり間違ったことであるとされた。それに疑問をもち窮屈さを感じながらもその枠からはみ出すことができない成長過程を私は辿った。あらゆる文化風習を丸ごとそのまま正邪の判断なしに受け入れ認める学問の在り方は、そんな私には本当に自由でのびやかで心地よいものであった。おかしい、変だ、間違ってる、くだらない。そんな判断がくだされがちな方法、風習もすべて「この文化の在り方」と受け入れられる。そんな世界がまぶしかった。
文化人類学はそういう学問である。こうでなければならないという枠を超え、自分自身を相対化してすべてを見直すところから出発する。自分を揺るがせ、壊すことで視野が広がり、世界を理解できる。そして、その試みは確かに自分を自由にする。
作者は帰国し、文化人類学を学びつつ、何度もパーブーに会いに行き、集落では「長兄」と呼ばれ、結婚式までそこで挙げたという。良い出会いだったのだな。旅は、人に良い出会いを与えてくれる。それが人生を変えるほどの良いものである場合だって結構ある。