ポーの一族

ポーの一族

117 萩尾望都 小学館

「一度きりの大泉の話」以来、萩尾望都を読み返さねば、と思っていた。図書館で古い文庫が三巻まで借りられたので、ついでに我が家にあった「ポーの一族 春の夢」も読み返した。いやあ、ディープな漫画であった。

何しろ、二巻までを読んだのは高校時代以来である。そうだ、そうだったよなあ、と思い返しながら、あの制服の着心地、あの学校の居心地の悪さまでざわざわと思い出しながら読んでしまった。若返った・・か?

それにしても、「ポーの一族」は息詰まる漫画である。一息入れる瞬間がほとんどない。時々紙面から目を離して深呼吸をしないと、この年齢ではついていけない、疲れてしまう。それだけ濃密な世界を描き出しているから、ともいえるのだろう。

ずっと生き続けること。呼吸もせず、おいしいものも食べず、成長もせず。ああ、そんなの嫌だなあ、と思ってしまう。ずっと隠れて逃げて回るのもつらいだろうし。人が生きるってどういうことだろう。幸せって何だろう。そんな根源的なことを考えてしまう。

夫が「ふたりでずっと生き続けるってどうよ。」というから、「14歳でずーっと成長せずに生き続けるのはかなわんなあ。」と答えた。「じゃあ、60歳くらいでずっと生き続けるのは?」と問われて、そうだなあ、その年齢なら、好きなことしていてもいいし、人に怪しまれることもないし、健康体であって、それが持続されるのなら案外いいかも、とちょっと思った。でも、子どもたちが老いて死んでいくのを見たくない。それなら、先に死んだほうがましだと思う。この世がどんどん荒んで酷くなって崩れていくのを行きながら見続けるのもきつい気がする。なんでこんな国になっちゃったのかなあとこの頃嘆息ばかりしているのに、これを見続けるのもなんだかなあ。

なんて、どんどん思いは別の方向に進んで行ってしまった。「ポーの一族」、傑作である。読んでいない人は、読んだ方がいいよ。