150 ヨシタケシンスケ KADOKAWA
ヨシタケシンスケは、又吉直樹との共著「その本は」以来、約一年ぶりである。テレビ番組でこの絵本を紹介していて、読みたくなった。
メメンとモリは姉と弟である。うっかり屋のモリが、メメンが作った大事なお皿を割ってしまう。世界にたった一つのお皿。でも、いいのよ、とメメンは言う。どんなものでもいつかは壊れたりなくなったりするのだから、と。私たちだってずっと今のままじゃなくて、いつかは大人になって年寄りになって天国に行っちゃうんだから。だから、壊れちゃったら悲しんで、新しくできたら喜んだらいい。というわけで、二人はまた、新しいお皿を作るのだが。というお話。そのほかにあと二つ、物語が入っている。
二つ目の「メメンとモリときたないゆきだるま」は意識を持った汚い雪だるまの独白である。みんなががっかりするほど汚い雪だるまであることを自覚している雪だるまは、次に人間に生まれたら、汚い雪だるまを一生懸命撮るカメラマンになるという。どんな雪だるまでも絶対にがっかりない。大喜びで近づいていく。ボクがしてほしかったことをしてあげるんだ、という。なんか切ない。私は、子どもたちをそんな気持ちで育てたような覚えがある。私がしてほしかったように、育てようと思っていた。それを思い出す。
三つめはつまらない映画のお話。つまらない映画で時間を損したみたいに思えたふたり。だけど、まあ、生きてるって楽しむためじゃないから、とメメンは言う。得だとか損だとかも生きてることには本当は関係ない、という。じゃあ、何のために生きてるの?と問うモリに、メメンの語る哲学。なんだか、気が楽になっていく。
以前にも書いたが、90歳になろうとする母が独居の寂しさを持て余していて、本が読みたいという。歴史も学びたいというので歴史漫画なんぞをときどき差し入れているのだが、それ以外にも矢部太郎のマンガなどが喜ばれる。この絵本もおそらく母の守備範囲だろうと思うので、今度実家に帰るときに持っていこうと思う。
生きてるって何だろうね、という根源的な問いかけに、あくまでも力の抜けた、気楽な、でも切実な思いも込めた、ヨシタケシンスケの答えが描かれている。こういう絵本を必要としているのは、子どもじゃなくて、実は大人なんだろうな。