悲惨なトランジット失敗の巻
7月24日から8月9日まで、モナコとフランスに行ってきた。今回の旅の主目的はモナコのモンテカルロで開催される世界バックギャモン選手権である。夫はこの大会に17年前に出場し、Intermediate(中級戦)で準優勝したことがある。当時はまだ下の子が小学生で、一緒に行くどころではなかった。前回の旅先のヴェネツィア同様、いつか一緒に行こうという話になっていた場所でもある。モナコの世界大会はほぼ毎年開催されているが、実は今回が最後といううわさもある。様々な事情で、来年からはドバイ開催じゃないかと憶測が飛んでいる。ドバイには全然興味ないからなー。ただ、表彰式を砂漠の真ん中でおこなうという話もあるらしく、それだけはちょっと興味があるが。そんなこんなで、モナコに行くなら今年が最後、と思った日本人が多く、今回は総勢15人ほどが集結することとなった。
飛行機を取ろうとしたら満席ばかりで、どうしたどうしたと思ったら、何と同時期にパリでオリンピックが行われるらしい。興味がないと忘れるもんだなー。そんなわけでパリ経由なんて取れるわけもなく、行きはイギリスのヒースロー経由、帰りはフィンランドのヘルシンキ経由になった。しかも、朝早い便だったので、羽田のホテルに前泊までした。
ヨーロッパまでには、ロシアのせいで最近は13時間もかかる。と思ったら、今回はさらにそこに3時間、上乗せされることになった。なんとその日、カムチャッカ半島の火山活動が活発化し、噴煙を避けるためにさらに大回りの航路を取ることになったのだ。
そんなこととはつゆ知らず、のんきに乗り込んだ我々に、機長からのアナウンス。3時間遅れたら、ヒースローからニースへの乗り継ぎが間に合いませんがな。どうするんだよ。と言ったところで、もう遅い。飛行機は飛び立った。
水平飛行に入って落ち着いたところでCAさんにお尋ねするが、詳しいことはわからない。たぶん、向こうの空港スタッフが必要な手配はしているはずだから、というばかりである。まあ、そうだよなあ。それから少しして、急げば間に合うような乗り継ぎのお客様がいるので、その人たちが最優先で降り、その後、我々への対応となる、という説明も受ける。その後、男性CAが一人、我々に付き添って降りてくれる、ということも申し出てくれた。
じたばたしても我々にできることはないので、機上ではのんびり過ごす。着陸時、まず乗り継ぎのお客様から、というアナウンスがあり、皆さんちゃんとおとなしく待機してらっしゃる。我々は二番目優先くらいで降りた。付き添って降りてくれるというスタッフは、出口のところまで一緒に行ってくれただけ。なんだ、そういうことなのね、と思うが、まあ、そうだよな。
出口すぐの場所に、いくつか名前を書いた紙を持っているスタッフがいて、おお、我々の名前もある。間に合いそうな人たちはすごい勢いで走って去って行き、我々は通路の端に案内され、何やらプリントした書類を見せられ、説明が始まる。この説明が早口で、どんどん話が進むのでよくわからない。ニース行きの夕方の便は既に満員でリクエストは入れてある、とか、明日の早朝の便は押さえてある、とか言うのだが、我々の乗り継ぎ便は、まだその時点ではヒースローにいるはず。走っても間に合わないのね?と彼女の息継ぎの瞬間に聞くと「あ、それは無理です、ターミナルも別だし、間に合うわけもありません、それで・・」と話が続く。いやいや、そこから教えてよ、こっちは素人なんだからさ。
荷物はお手元にお持ちですね、というから、いや、預けてあるし、ニースで受け取る手はずなんだけど、というと慌ててどこかに電話して、「荷物押さえて!まず動きながら聞いて!!」と指示を飛ばしている。預かり証を見せて、番号を照合し、どうやら荷物はヒースローに留めたらしい。それから、今夜のホテルを取ってあるのでそこに泊まるように、そのホテルへはバスで行け、明日は早朝なので朝食はないけど、今夜の夕食はホテルで食べられる、バス代はここにあるから受け取りを書いて‥と矢継ぎ早に説明が続く。どうやら我々は明日の早朝、ブリティッシュエアラインに乗るらしい。ホテルには話がついている、とにかく行って名前を言え、荷物はバゲッジクレームにある、パスポートコントロールを通って、バス乗り場の場所はここ、ホッパバスに乗れ、ホテル名を間違えるな、などなどたっぷり情報を浴びせられ、押し出された。なんかよくわからんが、行ってみるしかない。
荷物を受け取って、パスポートコントロールに行ったら、私が一発で通った機械照合で夫がはねられる。あっちへ行けと促された場所には長蛇の列。さんざん待って、ようやくパス。それからバス乗り場を見つけて、指示されたホッパバスに乗ると、これが満員。しかも、いくつものホテルをまわって、我々のホテルにいつまでも着かない。30分以上乗って、ようやく到着。この時点で、すでにぼろくずのように疲れ果てている我々。
やれやれ、とフロントに行って名前を言ったら、聞いてないよと言われる。いや、そんなはずはない、JALの人が話はついてると言った、というと、じゃあ、ちょっと待て、大丈夫だ、そのうちわかるから、そこで座っておけ、だって。無料のお水だけ飲んでずっと待つ。あとから来た人たちが、どんどんチェックインを済ませていく。30分以上待って、夫がもう一度交渉に行くが、まあ、待て、と。でも何も調べてる様子もないし、なに、それ。さらに30分近く待って、もう我慢ならん私が出動。なんで我々だけチェックインできないのだ、もう一時間は待っている、我々はものすごく疲れている、ホテルは押さえてあると言われた、どうしてダメなのか、早く休ませてくれ、調べるのならさっさと調べてくれ、などなど、ブロークンな英語でまくしたてる。乗ってきた飛行機や乗り過ごした飛行機の航空券、明日乗れと言われた飛行機の資料などを全部フロントに並べてたて、パスポートも見せて、大抗議。すると何とフロントのお姉ちゃんが、分かった、部屋を用意するから、とカードキーを準備し始める。夕食は八時半になるけど、このチケットを持っていけば食べられるからね、だって。なんだなんだ。猛然と抗議すればよかったのか!!
奇跡のように部屋のドアが開いた我々。ベッドに倒れ込み、夕食の八時半までに風呂を終える。夕食はビュッフェ。なんかよくわからんものを食べ、入り口で明日の空港行のホッパバスの時刻を調べ、早々に寝る。
翌朝は四時起床。まだ外は夜だ。遅れないように早めにホッパバスの乗り口で待つ。これが寒いのよ、上着を着ても震えるくらい。日本の酷暑は何だったんだ・・・。バスが来て、また例によってあちこち連れまわされて、ようやく空港へ。英国航空の窓口に行ってパスポートを見せれば話はついている、と昨日のJALの人は言った。だが、窓口に行くと、「Gへ行け」と言われる。Gという表示の場所へ行くと「ちがう、Hへ行け」と言われる。Hへ行くと「Gだと言っただろう」と言われる。荷物を引きずり、うろうろ二転三転。いったい何なのよ、Gへいけだの、Hへ行けだの、どこへ行けばいいのよ!と係員に抗議すると「じゃあ、チケットはここで出す。」と、突然、チケットが渡される。昨日のホテルもそうだったけど、いったいこれってなに。怒ると出てくるシステム?
ようやくチケットが手に入り、搭乗ゲートを確認、朝ご飯を軽く食べて、飛行機に乗る。ニース着陸。やれやれ。と思ったら、まだなのよ(笑)。今度はニースからモナコへのバスが見つからない。バス乗り場はあるんだけど、いくつも乗り場があって、どこからモナコ行きが出てるかわからないし、チケット売り場もない、案内所もない。バスの運転手に聞いたら「知らない、インターネットを見ろ」とかいう。見かねたのか、若い旅行者のお姉ちゃんが「何を困ってるの?」と聞いてくれるので、事情を説明する。ネットを調べて「私もわからないけど、たぶんあのあたりじゃないかしら」と停留所を指さしてくれる。そこへ行って、どうやらモナコ行きらしいと判明。この時点で、私はのどがカラカラで倒れそう。なので、売店で水を買ってくるから、と夫に荷物を託してその場を離れる。けっこうな距離の先にある売店では、前の順番の女性がいつまでもだらだらと店員とおしゃべりしていて待たされるが、ようやく水をゲット。戻ると、なんとバスが来ている!しかも、モナコ行き。
慌てて乗り込むと、割にすぐにドアが閉まる。危なかったー。夫は「まあ、行っちゃったら次もあるだろうからさ」とは言うが、もう嫌だよー、待つの。というわけで、ようやく水を一気に飲んで、モナコへ向かった我々であった。