111 藤井青銅 小学館文庫
数日間、実家に帰っていた。一人暮らしの老母を、月に一回、泊りがけで手伝いに行っている。行帰りの新幹線や、実家で一休みするときのために数冊の本を持っていく。今回は、この本を含めて三冊。ほぼ読み切って帰ってきた。
「ラジオにもほどがある」の作者、藤井青銅氏は放送作家である。伊集院光や、オードリー若林のトークの中でときどき名前は耳にしていた。「オールナイト・ニッポン」をはじめとする様々なラジオ、テレビ番組の台本、構成を手掛けた人だ。駆け出しの落語家だった伊集院光を、ラジオの帝王と呼ばれるラジオパーソナリティに育て上げた人でもあり、まだ無名だった若林のトーク力を見抜いて早くからラジオに抜擢した人でもある。
伊集院と若林がテレビで言っていた。番組の収録日にレコード室に行くと、いつも青銅さんがいて「今日は何を話すの?」と聞かれる。こんな話です、というと、ふんふんと聞いていて、「それは面白くないな」とか「その時、これはどうなってたの?」など合いの手をはさみ、聞くだけ聞くと帰ってしまう。本番中にいたことはない。けれど、そうやって、毎回事前にちょっと会話したことが、本番でとても生きてくる。あの人は、不思議な人だったね、と。
青銅氏は、伊集院も若林も、意識的に育てよう、売り出そう、ともくろんだ人である。この才能を伸ばしたい、と願った人である。つききりで教えるのではなく、ちょっと聞いておくだけで、彼らはのびる、とわかっていた。そして、それを楽しんだのだ。
有名な「芳賀ゆい」という幻のアイドルのエピソードがある。「歯がゆい」という言葉は、アイドルみたいな響きがある、と伊集院が言い出したのがきっかけである。ほかにも「おだまり(小田マリ)」とか「はがわるい(羽川ルイ)」などもある。芳賀ゆいというアイドルは、どんな人だと思う?とリスナーに問いかけたところから始まって、芳賀ゆいのプロフィール、人物像が次々に決まっていき、ついには握手会やコンサートまで開いて、最後に留学するゆいちゃんをみんなで空港から見送る、という終わり方をする。この一連の妄想イベントは、藤井青銅のプロデュースあってこそのものであった。まあ、壮大な悪ふざけともいうが。
そんな様々なラジオの日々を描いたのが、この本である。知っている番組もあれば、一度も聞いたことがない番組もある。でも、それもきっと楽しかっただろうと思える。
何度も書いているが、私はラジオファンである。じっくりと一つの話を掘り下げて聞けるのはラジオならではのものだし、画像がないからこその広がりが好きである。テレビよりもずっと個人的な感覚が楽しい。藤井青銅は、そうしたラジオの愉しみを最大限に広げた功績者の一人だと思う。彼も、ラジオが好きで、ラジオを楽しむ人だからこそ、できたことなのだと思う。