レストラン「ドイツ亭」

レストラン「ドイツ亭」

2021年5月8日

24 アネッテ・ヘス 河出書房新社

エーファはフランクフルトのレストラン「ドイツ亭」を営む家庭の次女。姉は看護師、歳の離れた弟はまだ小学生である。通信販売の会社を営む裕福な恋人、ユルゲンとの婚約が成立する瀬戸際にいる。そんな彼女の職業はポーランド語の通訳である。

1963年、ドイツではアウシュビッツ裁判が始まる。エーファはポーランド語を話す原告側の通訳となる。そこで証言されたのは、ガス室における大量虐殺、日々行われた残酷な拷問や虐待、非人道的な医療実験の数々・・。それらの証言を経て、ドイツ国民は、そして世界の人々は、強制収容所で何が行われていたかを詳細に知ることになる。

エーファの両親も強制収容所と無縁の人ではなかった。エーファは忘れていた幼い頃の思い出が何であったかを知る。エーファの姉は、当時ではない今現在、また同じような問題に直面していたりもする。恋人には親の老いという大きな問題も立ちふさがり、また、戦争が彼の精神を傷つけていたことも明らかになっていく。

強制収容所でひどい目にあった被害者も、事実を知りながらうまく逃げおおせた人たちも、それぞれに心に大きな傷を負っており、起きてしまった事実とどう向き合っていくかぎりぎりの選択を迫られる。エーファ自身も、通訳をやめるべきか、結婚をやめるべきか、両親とどう向き合うか、被害者をどう捉えるか、苦悩し続ける。何も知らない弟もまた、家族の中で何が起こっているのか、幼い頭で考えなければならない。

アウシュビッツで起きたこと、戦争の中で起きたことは、特別な状況で起きた有り得べからざることではあるけれど、それはまた、当たり前の日常の中で、生活の一部として起きたことであったのだ、とつくづく思う。強制収容所でユダヤ人を吊るして殴打した人間も、家に帰れば温かい夕食を食べ、家族と語らったのかもしれない。そんな非人道的なことは知らない、していない、と否定し続ける被告は、もしかしたら、半分は本当にそんなことはしなかったと心から思いこんでいたのかもしれない。だって、そんな毎日にも当たり前の日常があり、彼は、上官の命令に従ってルーティンとしての「仕事」をしたに過ぎないのだから。家に帰れば優しい父親の役割を果たしていたのだから。

アウシュビッツで起きたことは、極悪非道の悪魔がやったことではなく、当たり前の普通の人間たちがやったことだ。エーファという一人の女性も、ごく普通に恋をし、結婚に悩み、年の離れた弟を可愛がり、両親をいたわるどこにでもいる人間だ。その彼女が裁判に巻き込まれたために、人間の恐ろしさ、狂気、情けなさ、哀しさに向き合い、翻弄されなければならない。そして、彼女は逃げない。ごく普通の、当たり前の女性の逃げない強さに、私はどこかほっとし、また、戦慄もする。私だったら、どうするのか。私なら、どこに立ち、何ができたのか。それを思うと自信を失う。人間の弱さ、恐ろしさを思う。

私は、「戦争を知らない子供たち」よりもさらに年下の子どもであった。戦争は、遠い昔にあったことのように思いながら育ってきた。だが、アウシュビッツ裁判が行われた時、私はもう生まれていたではないか。強制収容所のできごとに人類が戦慄し、反省し始めたのは、まだその頃のことだったのだ!流された血が乾ききっていない、傷が癒えていない時代に、私はもう生まれていた・・・。そのことに、私は愕然とする。それはまだ、すぐそこにある現実だったのか、と。

これは、かつてあった歴史上のできごとではない。今現在も世界中のあちこちで起きていることとつながっている。ごく普通の、当たり前の善良な人々が、どこかでひどい目にあっている人たちの加害者なのかもしれない。温かい家庭の静かな日常の陰に、血を流し、傷つき、苦しんでいる人がいるのかもしれない。だからこそ、忘れてはいけない、と私は思う。