ロシア文学の教室

ロシア文学の教室

103 奈倉有里 文芸春秋

「夕暮れに夜明けの歌を」の奈倉有里である。あの本では、ロシア国立ゴーリキー文学大学でのアレクセイ・アントーノフ先生の授業がいかに素晴らしかったかが書かれていた。それが、おそらくこの本に反映されている。

世間知らずでものを考えることもろくに知らなかった高校生の頃の私は「女の子なら文学部でしょう」という大人の声に反発して、法学部に入った。文学を学ぶとはどういうことなのかわからなかったせいもある。本を読むのは大好きだったけれど、それは個人的な体験で、それを学問として分析したり論じたり昇華したりする必然性を感じなかった。法律を学べば世の中に通用しそうだし、役に立ちそうだとも思った。確かに法律は決まった条文があって、それを理解し覚えるところから授業は始まったので、思考の浅い私には取り組みやすかった。結果的には法制史などと言う変な方向へ走って、結局、歴史が好きなんだなあ、それなら文学部に行けばよかった、などと思うに至った不出来な法学生ではあったが。

「ロシア文学の教室」を読んで最初に頭に浮かんだのは、こんな授業が受けられるのなら、文学部に行ってロシア文学を専攻すればよかった、という妄想であった。この本は、枚下先生という初老の教授が12回に渡って演習形式で行う授業が中心となっている。授業に伴って、その予習や周辺の出来事、クラスメートの人間関係などが描かれ、結果、みずみずしい青春小説となっている。毎回取り上げられるゴーゴリ、プーシキン、ドストエフスキー、ゲルツェン、チェーホフ、トルストイといった作家たちの作品紹介は、まるでそのたびに一冊ずつ本を読んだみたいに深く楽しく、そして様々なことを考えさせられる。学生たちの感想も、それぞれの経験に基づいて生き生きした言葉が語られ、まるで演習に一緒に参加しているような気分になる。

トルストイもドストエフスキーも読んだことはあるけれど、こんな風に深く考えたことはなかった。その作品が描かれた歴史的な時代背景や社会の在り方を知っていると、これほどまでに物語が深く理解でき、かつ、それが今を生きる自分に迫ってくるものであるとは。私は今まで一体何を読んできたのか?と気が遠くなる。

12回の授業で、それぞれに印象に残った部分を引用しながら感想を書こうかと思ったけれど、それを始めると何ページあっても足りないし、それなら、この本をもってきて最初から読んでもらったほうが遥かに良いに決まっているので、それはやめよう。ただ、本を読むとは、文学に触れるとは、今を生きることに繋がるものであり、読み手を深めてくれるものだと改めて思った。読書とは、本当に楽しく、ありがたいものだ。

とても読みやすい文体で、登場するロシア文学を一度ちゃんと読んでみようと思わせてくれ、でありながら、実は青春物語としてきちんと出来上がっている。良い本であった。素晴らしかった。