93 児玉隆也・文 桑原甲子雄・写真 ちくま文庫
戦時中、アマチュアカメラマンが集められ、在郷軍人会の依頼で出生軍人の家族の姿を撮って戦地に送る企画があった。桑原甲子雄は東京下町の家を訪問してシャッターを切って歩いた。その数、九十九枚。三十年後、その写真を手に児玉隆也は下町を歩き、この写真の人々を訪ねて回った。それは一つの昭和史を聞き取る作業でもあった。
氏名不詳の写真だけが頼りである。写っているのれんの屋号や用水桶の名前、門柱や棟割長屋の姿、背景の小学校の校庭などをもとに、それらしき場所に住む人々に写真を見せて回った。最初は「知らないねえ」「写真の押し売りかい?」などと不審がられながらも、「あ!これは阿部寅松さんだ!この長靴を履いていたんだ」などとわかる人がぽつぽつ出てきた。最後までわからなかった人々もたくさんいる。生き延びた人はすっかり歳を取り、戦地から生きて帰った人もいる。一人一人が、写真からさまざまな思い出を語り、一緒に移った人の最期やその後を語る。そこには生きた昭和史が立ち上がってくるのだった。
いま、町の雑踏を歩くと、二度と会わないだろう人たち大勢とすれ違い、行き違う。何のかかわりもない、顔を覚えることもない人たちだ。私は、その一人一人に声をかけて、何をするのですか、何処へ行くのですか、今までどんなことがあってたのですか、あなたの大事な人は誰ですか、などと聞きたくなる変な癖がある。只の群衆でしかないその人たちひとりひとりには、それぞれに家があり、家族があり、歴史がある。それを知ったとたんにその人が人間として立ち上がり、形を成し、生き生きと存在し始める。人は誰も等しく大切な命をもち、生きている意味を持つ。世の中はそうやってできているし、歴史はそうやって積み重なっている。そう思うと気が遠くなるようですらある。
この本はそれを実際にやってのけたようなものだ。それも、三十年前の写真をもとに、戦争という、誰もがのがれ得ない大きな災厄を生き延びた人々を対象に。写真に写る人々を探し出し、話を聞く。それぞれの人生がずっしりと重く、深い。戦後三十年。いまだにまたあそこへ、あの時のような悲惨な場所へ戻るのではないか、という、そこはか゚とない不安を抱えている人がいる。みんな死んでしまって自分だけが生きている、と力なく言う人もいる。恋する人に赤紙が来て、翌朝に祝言をあげて、数日後には戦地へ見送った人話をする人もいる。どんな人の人生も大切な大事な意味がある。つくづく思う。
一銭五厘とは、召集令状のはがきの切手代である。一銭五厘で戦争にとられた人と、その家族を結んだ写真、それをもとに三十年後の彼らの姿を探し出したのがこの本だ。本当の歴史とは、権力者が何をした、どこの領土が侵略された、などということだけでなく、こうしたごく普通の一人一人がどう生きたのか、毎日何を思っていたのか、それこそが大事である、と私には思えてならない。
