63 星野博美 株式会社ゲンロン
「今日はヒョウ柄を着る日」以来の星野博美である。星野博美は、最初、ちょっと苦手であった。こうありたい、こうでなければという思い込みが強い人だという印象のせいかもしれない。実際、彼女は厳しい。他人にも厳しいが、自分にはもっと厳しい。いい加減な私には、そこがつらいのだ。だが、その強さでぐいぐいと深く掘り下げ、考察し、書き続ける力がある。そのパワーには脱帽する。そしてこの本は、彼女の強さ、良さが前面に出た良い作品だ。感心した。
30年前に祖父から渡された手記。今はまだ読むべき時ではないと温存していたが、コロナを機に、ついに読む時が来た。それを読み解き、過去を振り返り、資料に当たり、五反田という土地をベースに家族史を描く。ただの家族史を超え、太平洋戦争の実態へと繋がっていく。ひとつの街を掘り下げることで、大きな歴史が広がる。満州移民と敗戦における関東軍の棄民、引き上げの過酷さや、東京大空襲の詳細な事実。そこには様々な発見があり、ともすれば忘れ去られがちな重要な記憶が描き出されている。公的な歴史書にはない庶民の証言が丁寧に掘り起こされている。
東京大空襲の死者が、空襲を繰り返すごとに減って行ったのは、人々が消火活動を諦めて即座に逃げ出すようになったからであり、では、なぜ当初は誰もが逃げずに消火活動を行ったかというと、逃げ出すのは罪だとされ、消火活動を行うことが義務だとされていたからだという。これには驚いた。消火を諦め逃げ出す人へ「この非国民!」という罵声が浴びせられたというから恐ろしい。火を消すためにとどまった人の多くは焼け死んでしまった。逃げた人は助かった。かつて星野家は危険を察知して早々に疎開したから一族が生き残った。逃げるが勝ち。同調圧力に屈しなかった人が生き残ったのだ。
こうした生きた記憶を私たちは失ってはいけない。親や祖父母から引き継いだ記憶を残し、実際に何が起きたのか、美化された歴史の裏側で国は何をしていたのかを覚えておかなければいけない。私も父から予科練習生の悲惨な実態をさんざん聞かされて育った。母から戦後の食糧難の厳しさの話をたくさん聞いた。そんな物語を、私たちは後世に伝える義務があるのかもしれない。歴史の改ざんを防ぐためにも、本当にあった悲惨な話を語り継がねばならないのだ。
ちなみにこの本は電子書籍で読んだ。そもそもが旅先で読むつもりだったのだ、母に不幸がなければ。それを、相続の手続きに向かう電車内で読む。複雑な思いであった。