4 森達也 ミツイパブリッシング
「神様ってなに?」以来の森達也である。私はこの人を信頼しているし、本も、映像も、できるだけ読もう、見ようとしている。ただ、疲れる。暗くなる。言ってることはわかるし、おおむね賛同もするのだが、結果、絶望のようなものが見えてしまう。でも、諦めていないから彼は書いたり撮ったりするのだろうし、私も諦めていないから、それを見ようとする。ただ、けっこうエネルギーを吸い取られそうになるので、あまり元気がない時に読まないほうがいい。でも、読んでしまった。こんな、老母の今後が迷走状態でいる今、こんな時に。しかも、私自身の病気で受診する病院の待合室で(笑)。
様々な雑文の寄せ集めだが、私も昨年見た映画「福田村事件」に関する文章や、皇室小説(!)「千代田区一番一号のラビリンス」に関するものが多い。あとはガザやウクライナの話も。映画「福田村事件」は結構話題を集めた。見てない人は今からでも見てほしいと思う。歴史に埋もれそうになっている事件が扱われている。これを、私たちは知るべきだと思う。だからここにも簡単に書く。
関東大震災発生後、朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだというデマが関東地方に飛び交い、六千人を超える在日朝鮮人が市民たちに惨殺された。だが、福田村で殺されたのは朝鮮人ではない。全員が香川県の被差別部落出身の行商の一行であった。方言が朝鮮人の話し方と混同され、勘違いされたのだ。彼らを惨殺したのは普通の村民であり、一度は捕まったが許された。そして、被害者側も声をあげなかった。そんな歴史的事実の映画である。
一方、「千代田区一番一号のラビリンス」は、皇居に住む「明仁と美智子」が主人公の物語である。設定だけでもワクワクする…と私は思って読んだし、読後、何人かに勧めたが、なぜか誰も読もうとはしない。作者も、驚くほど無視された、と書いている。特に苦情も炎上もなく、ただただ無視されたらしい。それが不思議である。
森達也の立ち位置はシンプルである。善良な人、ごく普通の人が虐殺をする。ひどいことをする。森達也自身はオウムを取材することでその事実に直面した。ナチスの非情な将校も家に帰れば優しいパパであり夫であったはずだ。サリンをまいたオウムの信者たちも、善良で心優しい青年達でもあった。福田村で行商人を惨殺したのも、みな、家族を守る善良な村民であった。
転勤族の子であった私は転校生としていく先々でいじめにもあった。いじめてくる子たちも、みんな本当は心優しいいい子たちでもあった。それを子どもの私は肌身で感じていた。だから、森達也の言うことがすごくよくわかる。ガザを攻撃するイスラエルの人たちも、かつてナチスに、そして世界で何度もひどい目にあわされた被害者でもあったのだ。悪は悪の顔をしていない。人は自衛のために人を攻撃し、戦争を起こす。
というわけで、待合室で読み切って、ぐったり疲れた私である。91歳の老母は今日、背骨の圧迫骨折の手術をようやく受けた。全身麻酔であったが、手術は成功だそうである。本来、昨年12月初旬に受けられるはずだった手術かここまでずれ込んだのにはまた長い理由がある。そして、それに追いつめられて、私の今後もなかなか不透明であり、そして気持ちはふさぎ続けるのだが‥‥。
こんな時は、ウイーンフィルハーモニーのニューイヤーコンサートが効くね。録画を二時間、みっちり聴いたら驚くほど心が回復した。音楽は魂に直接響く。森達也の前後にはウイーンフィルを(笑)。元気になろう。