仏陀を買う

仏陀を買う

2022年8月30日

115 近藤紘一 中央公論社

作者の近藤紘一は、ベトナム戦争中にサンケイ新聞のサイゴン支局長だったジャーナリストである。彼の著作「サイゴンから来た妻と娘」なら読んだことがある。ベトナムの下宿の女主人と結婚し、サイゴン陥落において、妻とその連れ子と共に日本に帰国した。「サイゴンから来た妻と娘」はその経緯や、帰国後の彼らの生活が描かれた作品で、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞している。

近藤紘一が小説を書いているとは知らなかった。といっても、ほぼノンフィクションに近いようなテイストで、下宿を追い出された主人公が、かつてちょっとだけデートしたことのある同年代の女性と再会し、その家に転がり込んでからの日々が描かれている。淡々とした筆致で、乾いたユーモアも交えながら、激しい戦争のさなかの人々の普段の生活が描かれている。のちに妻になる女性の姿はたくましく、何か大物の影すらある。そして、それに対する静かな愛情が実は根底に流れていることを、読者はついに知るに至る物語である。

彼の書いたノンフィクションを読んだのは、私がまだ二十代前半のころ、いや、ひょっとすると十代のころだったかもしれない。長かった、終わらないのではないかと思われたベトナム戦争がついに終結し、そこから逃れてきた人がどのように過ごしているのか、単なる興味だけで読んで、そして、どこまで理解していたのかすら定かではない。ただ、齢を重ねたのちの結婚、それも連れ子もいるという状況だというのに、何かとても深い情愛がそこにあるように感じた。まだ若かった私には、そんな気持ちになることがあるのか・・・という腑に落ちないような感覚すらあった覚えがある。

今、この「仏陀を買う」を読むと、悲惨な状況下でも堂々と生きる女性と、その女性にむしろ助けられ、支えられて何とか仕事もしながらベトナムという大変な場所に生きることができている男性との間に不思議な強いきずなが作られていく過程が読み取れる。とりわけ女性の強さ、したたかさと素直さ、繊細さのあいまった姿は感動的ですらある。また、それを見抜く作者の目の確かさと言ったら。

戦争のバカらしさ、悲惨さ、国の上層部の勝手な思惑や面子や金儲けのために、どれだけ庶民が犠牲になるのか、そんな中でも人はどんなにたくましく生き、激しく死んでいくのか。そんなことを改めて見せられる。これは、遠い昔の話ではない。今もこれからも続く物語だ。

近藤氏はこの小説で中央公論新人賞を受賞し、その後、癌で亡くなった。本の出版は、亡くなった後のことである。なんと若くして亡くなったことか。享年45歳。生きていたら、どんな作品を書いたのだろうと思わずにはいられない。