伊集院光と大江健三郎 その2

2021年7月24日

大江健三郎は、伊丹氏の映画をわざわざ見たりはしない。だが、ある時、伊丹氏の妹でもある妻が、試写会に行った。そして、それはテロに関する映画だった、と話してくれた。伊 丹氏がテロについてどんなふうに表現したのか。それは重要であると判断した大江氏は、映画館まで見に行った。そして、鑑賞後、伊丹氏に電話したのだ。

伊丹氏は、抽象的な感想は嫌う。あれはポストモダンだったね、みたいな言い方ではダメだ。具体的に、何がどうだったのかを話す必要がある。そこで、大江氏は、映画の中の、とあるエピソードについて話をした。

小太りな警察官がいる。出前の昼食について文句を言ったりしてちょっと意地悪な側面がある。サリンジャーなんかを読んでいるのを上司に見られ、そんなもんを読んでばかりいるより、カラオケスナックにでも行ったりすることも仕事の一部である、などと怒られる。

カラオケスナックに行ったその警察官は、歌っている青年が指名手配中の犯人であることに気づく。そこで、ホステスを誘って踊りながら近づき、犯人を逮捕し ようとする。マイクを口に突っ込んだりして、大立ち回りになりながら、一生懸命戦い、カラオケスナックのドアが壊れて外に転がり出し、田んぼに突っ込ん で、逮捕に至る。

それから、警官は、座り込んだ犯人の泥まみれになった背中にホースでじゃあじゃあと水をかけて洗ってやる。その警官の背中をホステスが楽しそうな顔で同じようにホースで洗ってやっている。

大江はそのシーンを印象的に語る。これを見ただけで、その警官が、どんな人物か、これからどんな風に生きていくかがわかる。このエピソードだけで、よく出来た短編小説を読んでいるようだ、と。

伊丹氏は、その感想を聞き、大江氏に、あのホステスを演じた女優の名前は〇〇というのだよ、君、覚えたかね、と聞く。自分は小説家だし、そんな女優さんの名前なんて覚えられないよ、と大江は答える。すると伊丹氏はこう言ったというのだ。
「君、だけど、あの警官役はね、伊集院光という人なんだよ。」

伊集院光は一言も発さないが、息を呑んでいるのが分る。大江健三郎は、言葉を続ける。

「これがね、僕が彼と交わした最後の会話なんです。それで、僕は何度も何度もこの会話を思い出すんです。」

大江健三郎は、きっと、それで伊集院光に会いに来たのだ。

それまで一言も発していなかった伊集院光が話し出す。
僕は今、非常に感動してお話を聞いておりました、と。

その話を聞いて、きっと伊丹さんはとても嬉しかったと思う。あのシーンには、何度も何度もNGがでた。どこが悪いのか尋ねたら、それは君の問題ではない、こ ちらの問題である。あなたは何も悪くないのだから、気にしないでほしい、と言われた。それでぼくは、とにかく自分は与えられたことをしっかりとやればいい のだと考え、何度も同じことを繰り返し演じた。

伊丹さんのOKには三つあって、ひとつは普通にOK。一つは、まあ、ここらで手を打たないと映画がいつまでもできないからな、というOK、そして、最後は 会心の、大満足のOK。あのシーンの重要性が僕にはわかっていなかったのだが、何度も繰り返して、最後に出たOKは、まさに会心のOKであった。その意味 が僕にはわかっていなかったのだが、大江先生は、一度見ただけで、気が付かれた。わかってもらえて、伊丹さんは、とても嬉しかったに違いない。

 この一連の会話は、なんと美しいのだろうと私は感動しながら聞いていた。

伊集院は、この高名な作家に対して、臆することなく、けれど謙虚に、一生懸命に自分の思いを話した。大江氏はそれをまっすぐ受け止めて、嬉しそうに、懐かしそうに、熱心に話してくれた。

大江健三郎は、ラジオの事情なんて何も知らない。CMを挟まねばならなかったり、途中、時報が入ったりもするが、そんなことはお構いなしに思いをしゃべり 続ける。ラジオの達人である伊集院は、それを決して遮ることなく、大江氏を尊重しつつ、最低限のやるべきことを丁寧にこなして番組を成立させていく。

そして、そこで話されたことの不思議な美しさ。

とても良いものを聞いた、と私は思った。 

2014/7/4

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