26高橋源一郎 朝日新聞社
「この30年の小説、ぜんぶ」以来の高橋源一郎である。あれは、斎藤美奈子との共著であったが。私は高橋源一郎はあんまり読んだことがない。ただ「読むってどんなこと?」に感心したことは覚えている。私は鶴見俊輔を心から信頼し尊敬しているのだが、もしかしたら、鶴見さんを教えてくれたのは、高橋氏だったのかもしれない。
この本は、戦争について書いてある。と言っても、章ごとに視点は様々だ。第一章では、戦争に関する世界中の教科書を読んでいる。第二章では、戦争を語る「大きなことば」と「小さなことば」について。第三章では「本当の戦争の話をしよう」で、戦地で戦った文学者たちの作品を読み解いている。第四章は「ぼくらの戦争なんだぜ」ということで、ぐっと自分たちに引き付けられる。そして第五章では太宰治と戦争小説について語っている。何となくいろんなことが詰め込まれていて、読み手である私の側の問題だとは思うのだけれど、思考があちこちにばらけてしまって、なかなかまとまらない。ただ、戦争とは何か、については様々な方向から考えるきっかけとなったとは思う。
高橋氏は、親たちから戦争の話をずいぶんと聞かされたという。真剣に聞かなければならない話だとは思うけれど、繰り返し聞かされて、嫌なものだったと正直に書いている。高橋氏の母親は自伝を書いて、その中でも戦争を描いているけれど、それを読む気にもならなかったし、心も動かされなかったという。それはひどく退屈だったと。教科書が退屈なように、他人の経験を聞かされることなんて退屈でしかなかったと。だから、彼は、戦争について、もっと面白く楽しく(と言うと語弊があるが)語る教科書を書いてみたい、と思ったという。
ところで、私も両親から戦争の話をずいぶんと聞かされて育った。私は、それを退屈だと思わず、恐ろしいと感じる子だった。老いた母は今ではもう90歳になったが、戦後、結婚してもしばらく空襲の夢を見たという。予科練飛行兵だった亡き父も、やっぱり空襲の夢を見たという。だが、彼らは知らない。実は、私も空襲の夢を見る子だった。両親から聞かされる空襲の恐ろしさが身に迫って、まるで自分が経験したかのように思えて、鳴り響く空襲警報、衝撃に耐えるために目と耳を押さえて防空壕の中でじっとただ敵機が過ぎ去るのを待つ時間、そして近くに落ちた爆弾の轟音‥の夢を、幼い頃に見ていたのだ。小さな子どもに戦争の恐ろしさを語ることについて、だから私は少し慎重である。心に大きな恐れと傷を与える危険性もあるからだ。
戦争が、まるで空から降ってきた災難のように語られることにも違和感がある。例えば小学校の教科書に載る「ちいちゃんのかげおくり」では、身体の弱いお父さんが戦争に行かねばならないこと、小さなちいちゃんが空襲の中で逃げまどって一人ぼっちになってしまうことが描かれている。それは、何も悪くないのに弱い人たちが蹂躙される話である。戦争は、悪くない人を痛めつける天から降ってきた大災害のようだ。でも、本当はそうじゃない。戦争は、誰かが始めるものだし、始めることを止められなかった人たちがいるから 起こされるものだ。弱い人がいじめられる話じゃなくて、愚かな選択をする、権力を持った人たちの過ちが出発点だ。自然災害じゃなくて、人が選んで始めたことなのだ。だけど、そういうことは国語の教科書には全然描かれない。逃げられない、怖いものでしかない戦争。そんなものだけが、子どもたちに刷り込まれる。それって、戦争を教えたことになるんだろうか。
大きなことばと小さなことば。私が通信教育会社のホームページで最初にこの読書ブログを始めた頃、東大や京大に通う立派な賢い学生たちと語り合う掲示板があった。そこで彼らが書いた、忘れられないことがある。戦争の被害者の体験談を聞くなんてことはやめたほうがいい、という話である。個人の被害をことさらに語り、その恐ろしさを教えられることで、正しい判断が妨げられる、と言うのだ。そう、「正しい判断」と彼らは言ったのだ。少数弱者の怖かった話に惑わされて、大局的な見地を失ってはいけない、というようなことを彼らは言ったのだ。「大きなことば」。選ばれた人間であると自認する彼らにとっては大きなことばさえあればよかったのだろう。私が、あなたが、小さな子どもが、老人が、病人が、あなたの愛する人が、爆撃で逃げまどい、身体を引き裂かれ、血まみれになって苦しんでいたとしても、そんなことで国家の方針を捻じ曲げられる必要はない。その言葉に私は震撼とし、愕然とした。そこから何かを話し合った覚えはある。だが、彼らを動かす言葉を私は持ち得なかった…ように思う。今でも忘れられない、後悔の残る会話である。
90歳の母と、いろいろな昔話をする。チャーチルやルーズベルトは鬼みたいな奴らでやっつけなければいけないと心から信じていたと母は言う。その母が、戦後、富士山に登ったとき、同じグループにアメリカの兵隊さんがいたのよ、と楽しそうに語る。憎い敵だった、ひどい爆弾を大量に落とし、原爆で日本を無茶苦茶にしたアメリカ兵を、怖いと思わなかったの?許せないと思わなかったの?という私の問いに、母は、初めて気が付いたという顔で「そういわれるとなぜかしら。全然怖くも憎くもなかったわ。」と答える。そこに矛盾を感じたことが一度もなかったという。
戦争というものを振り返り、知ろうとしたときに、私たちは本当に様々な矛盾に突き当たる。何が正しくて、何が間違っているのか。戦争はどうして起きるのか。なぜ止められないのか。そんなごく単純なことを、私たちはまだ全然わからないでいる。「本当はやっちゃいけないと思った人も日本にはいたのだけれど、そういう人たちはみんな捕まっちゃって、牢屋に入れられたり殺されたりしたのよね」と母は言う。「あんな状況で戦争反対なんて言えるわけがなかった。なんで反対しなかったんだなんて今いう人たちは、分からないのよ、それが。」と。でも、それじゃあ、また同じことが起きたら、私たちはまた同じように間違いの中に突き進むしかないじゃないか。そう私が問うと、母は困った顔をする。みんながこれが正しいと言っているときに、自分がたった一人であっても、それは間違ってると言える勇気と、言える環境を作っておかないと、また同じことが起きるよね、と私は言ってみる。でも、世間体を気にし、人に合わせることが身上の母は、たぶんそんなことはできないと思っている。90歳の母に変われと私は言わない。ただ、彼女との会話の中から、私はいろいろなものを見つけ出し、考え込む。
長い本であった。何度も考えこんだが、あまり良い回答は出てこない。今の世の中を見て、このきな臭さが私はひどく怖い。だが、その中で、老いつつある私に何ができるのか。大きなことばを語れない私が、小さなことばでどれだけのことができるのか。日常の中で、同じ繰り返しの中で、いったいどんな力を持つことができるのか。そんなことを、ただただ考えあぐねている。