再生 西鉄バスジャック事件からの編み直しの物語

再生 西鉄バスジャック事件からの編み直しの物語

28 山口由美子 岩波書店

西鉄バスジャック事件。もう覚えていない方も多いかもしれないし、当時生まれていなかった方もいるかも。2000年5月、佐賀発の西鉄高速バスで17歳の「少年」が起こした「バスジャック事件」。少年は乗客に牛刀で切りつけ、二人が負傷し、一人は失血死した。この本の作者は、この事件で負傷したひとりである。長い入院生活の後、復帰、議院法務委員会で参考人として意見を述べる。その後、不登校の親の会を立ち上げ、不登校の子どもの居場所「ハッピービバーク」を開設。京都医療少年院にて加害少年と面会を重ねる。九州大学大学院で学ぶ機会を得、本書を出版するに至った。

つらく重い本だったので、休み休み時間をかけて読んだ。バスジャック事件は、いじめを受けて不登校となった少年が犯人だった。作者の山口さんの子どもも不登校を経験している。亡くなった塚本達子さんは、小学校教諭を経て幼児教室を主宰しており、子供たちが成長した後も山口さんは彼女を恩師として深くお付き合いをしていた仲である。

事件のさなか、作者は血まみれになりながら「今私が死んだらこの子を殺人者にしてしまう」と考えたそうだ。人質が逃亡したのを知った少年は「連帯責任だ」と言いながら切り付けてきた。それを聞いて「彼はこの言葉で傷ついてきたのだな」とも思ったという。

この感覚が、私にはわかる。そんな切迫した状況を経験したことがないくせに偉そうには言えないことなのだろうけれど。私は少年事件の報道に触れるたび、悪に憤りを感じる前に、その子がなぜそんなことをしなければならなかったのかと思わずにはいられないのだ。少年をそこまで追い込んだ事情がどうしても気になる。そして、どうしたらその少年を助けることができたんだろう、と考えてしまう。とりわけ彼が口にした「連帯責任」という言葉がもつ毒。この言葉で子ども時代、理不尽な嫌な目に遭った人は多いはずだ。この言葉の元に、大人の都合だけで何の関係もないのに罰を与えられた経験がある人はきっといるはずだ。

作者は事件後、犯人の少年の両親と三回会い、少年自身とも三回会っている。初めての面会の時、彼女は「これまで誰にも理解されず、つらかったね」と声をかけたそうだ。「だけど、あなたの罪を赦したわけではない。赦すのはこれからです。これからの生き方を見ているから‥‥」と。その後、二回の面会と手紙のやり取りを経て、少年は出所した。少年からの謝罪を受けて、作者は心が軽くなるのを感じたという。

少年であるのなら、犯罪を犯すような悪者を赦すのか?という問いがある。死刑制度の是非についても同じような問いがある。悪は成敗して当たり前、と主張する人が多いことも知っている。自分や自分の大切な人が犯罪に苦しめられた時、それを赦すことなんてできるのか、理想を語るな、と言われることも知っている。それでもなお、私は少年犯罪の裏側にあるものを忘れてはいけないと考える。少年をそこまで追い込んでしまう生育環境や、無理解な周囲の大人たちのことを思わずにはいられない。

私は学校が嫌いな子どもだった。不登校であったわけではないが、多少体調が悪くなると学校が休めて嬉しかったし、高校時代は結構、悪いサボり方もした。転校ばかりしていたので、居場所のない子供のつらさも知っていた。少年犯罪を犯した経験はないけれど、そこまで追いつめられる子がいることは、わからなくはない。その子と私は地続きなのだ。やけっぱちになってとんでもないことをしてしまう前に、誰かがそれに気づいて、その気持ちを受け止めて、あなたはそんなことをしなくてもいい、大丈夫よ、と言ってあげられたら、とどうしても思う。視野が狭くて、経験が少なくて、とんでもないことをしでかしてしまうその前に、その子に安心できる場所さえあったなら、と思わずにはいられない。甘いよ、と言われようと、そう思うことを止めることはできない。

だから、少年に切りつけられ、命の危機に立たされ、大事な人を失ってもなお少年に寄り添ったこの作者の本は胸にしみた。わかる気がする。そう思った。わたし自身はそんながけっぷちに立ったこともないくせに、そう強く感じた。成長過程の子どもは守られなければならない。愛されなければならない。安心できる居場所がなくてはならない。それがないと、本当に苦しくて、追い詰められて、自分や人を傷つけてしまうことだってある。そのことを、改めて教えられた気がする本であった。