初子さん

初子さん

68 赤染晶子 palmbooks

「乙女の密告」「じゃむパンの日」の赤染晶子である。早逝の作家なので残された作品が少ない。この本は近所の小さな新しい本屋で買った。リアルの本屋には、頑張ってほしい。

そこはかとないユーモアと切なさと鋭さが入り混じった小説。この人の書くものはみんなそうだ。表題作の初子さんは、あんパンとクリームパンしか売っていないパン屋に下宿している。店主は時々パンの中身を間違えて作ってしまう。あんパンとクリームパンしか売ってないくせに、あんパンがあんパンでないことがある。店先には「交換はひとくちまで」と貼ってある。思ってたんと違う、と客が文句を言いに行っても「そやけど、もうえらい食べてはりますやん」と店主の妻が突っ返す。

このエピソードは本題にはあんまり関係ないのだけど、それにしても良い導入である。ここからゆるゆると物語が始まる。ミシンで服を作る初子さんの周辺が、この空気感でゆったりと進んでいく。どうしようもないけれど、笑える。笑えるけど閉塞感がある。でも、出口もどこかにはある。

収録された二編目の短編「「うつつ・うつら」は舞台芸人の物語。「わて、実はパリジェンヌですねん」というマドモアゼル鶴子が主人公である。「わて、毎日、おフランスの香水、ぴゃぴゃぴゃぴゃぴゃあーてつけてますねん」「仏壇かて、わてとこの、皆さんとことちゃいまっせ。遺影からしてちゃいますねん。ルイなんとかゆう人ですわ」そんなピン芸人の鶴子と同じ舞台に立つコンビ「夢うつつ・気もそぞろ」のそぞろがいなくなる。そこで現とコンビを組むのが鶴子である。

最後は「まっ茶小路旅行店」。これも、使い物にならない旅行代理店のメンバーの物語である。海外には危険が溢れているけれど、全然危険じゃないと旅を売る。その店に台風がやってくる。

とほほ感あふれる人間が、とほほと思いながら生きている。とほほ人間にも人生がある、その緩やかな生活が、どこかおかしみをもって描かれる。この味わいはなかなか無い。得難い作家だったのだなあ、惜しいなあ、とつくづく思う。