128 ハン・ガン 白水社
アジア女性初のノーベル文学賞作家の最新作。1948年、韓国で起きた四・三事件。済州島で起きたジェノサイドが背景となっている。村の九割以上が焼き尽くされ、村民の五人に一人が殺された。主人公キョンハは、済州島出身のインソンの友人である。インソンの母はそのジェノサイドを生き延びた人であり、父は生死が明らかでないまま不在となっている。インソンの思いがけない事故で病室に呼ばれたキョンハが彼女の頼みによって済州島の家まで行く。雪の中での鳥やインソンとの幻想か夢かもわからないような時間が描かれる。
これを読み始めたのが病院の待合室であった。持病の定期検診に加えて側弯にできた吹き出物の切除を考えていた時だった。インソンに起きるアクシデントがあまりにも痛くて、これから側弯診察なのにさー、と泣きそうになった。だが、たかがそんなもの、なのである。物語はさらに残虐を極め、辛く苦しく恐ろしい展開を見せた。一方、私の側弯は思いのほか軽症であった。やれやれ。
それにしても、私たちはお隣の国だというのに韓国の歴史を知らない。四・三事件という出来事があった、という一行は確かに歴史の教科書にあったとは思うが、その具体的な内容は全く知らなかった。恥ずかしい。 日本では、戦争で沖縄の人たちが辛酸を極めたことは知っていたが、韓国では済州島が沖縄と同じような位置づけにあったのか。共産主義への恐怖が大虐殺へと繋がり、何の関係もない人たちが、子どもも含めてただただ理由もなく殺された。関東大震災の時の朝鮮人虐殺も似たところがある。人は、どこかでスイッチが入ると平気でこんなにもひどいこと、恐ろしいことができる。そして、それを隠そうとする、忘れようとする。つらくて痛くて苦しくて、途中で何度も読み止めようかと思った。
これは昔の話ではない。今でも、ガザで、ウクライナで、紛争中の世界中の様々な場所で起きている話である。なぜ私たちはそれを止められないのだろう。日本でも、国籍が違ったり、単に少数派であるというだけで排除され、踏みにじられる人がいる。
文学に何ができるのだろう。私たちに何ができるのだろう。いつもいつもそう思う。知ること、忘れないこと、隠さないこと。それしかできない私たち。でも、せめてそれだけは、と思っている。
