158 安田峰俊 文芸春秋
副題は「ベトナム人不法滞在者たちの青春と犯罪」。
職場からドロップアウトして不法滞在・不法就労状態にあるベトナム人の元技能実習生や、オーバーステイ化した元留学生などの総称が「ボドイ」である。ベトナム語では「部隊」や「兵士」の意味だという。
彼らを生んだのは日本のいびつな外国人労働政策だ。少子高齢化やデフレ経済の中で、日本の労働現場は安価な労働力を大量に必要としている。が、移民に対する世論の抵抗感が強く、結果、「実習」を名目にした技能実習生や「留学」をタテマエに就労する偽装留学生を実質的な外国人労働者として雇用する行為が常態化され、政府もそれを実質的に追認してきた。だが、技能実習生は、職業選択や移動の自由といった基本的人権が実質的に制限されている。しかも、彼らの多くは出国前に多額の借金を背負っている。結果、職場を逃亡する人も多い。そして、貧しい生活と不安定な身分の流れ者と化する。故に窃盗や詐欺、暴力行為、無免許運転などとの親和性も高い。
そんな彼らと直接会って飲食などを共にしながら取材を重ねて書かれたのがこの本である。無免許運転でひき逃げ死亡事故を起こしてしまった女性や、ウーバーイーツ配達の青年、「群馬の兄貴」と呼ばれるベトナム人有力者や、豚や桃の窃盗疑惑、介護の仕事からセックスワーカーに転じた女性、列車に追突した男性や、殺し合うベトナム人など様々な姿が描かれている。
ベトナムには2019年に旅行した。都市は、交通ルールもあったものではなく、バイクが道いっぱいにあふれて、少しでも空間があるとそこに次のバイクが突っ込んできた。信号も、ほぼ意味を成していなかった。ガイドの言葉が印象的である。「ベトナムにも交通ルールはある。ただ、みんな知らないだけ。バイクの免許は18歳から取れる。紙の試験と、実地試験の二つね。でも、お金払えば、合格する。もっとお金払えば、試験受けなくても免許もらえる。私は試験受けたけど、試験官が全部答えを教えてくれた。お金ちょっとだけ払ったからね。」(ベトナム旅行記その2参照)
車通りの少ない道で人をひき殺してしまった女性のエピソードが最初に登場する。彼女は、ベトナム流儀で車を運転していたのだと思う。ウインカーなど出さない、周囲に気など配らない、ただ、がんがんと走る。もちろん無免許である。運転の仕方は知っているので、運転した、と証言して、それが悪いことだという認識もない。
あとの方でも、線路上に車を放置して逃げた青年の話が出てくる。そのせいで、電車は車に衝突し、大事故となる。彼は、線路上に車が止まってしまったら、通報しなければならないことも知らなければ、非常停止ボタンの存在も知らず、また、防犯カメラなどでだれがやったかが確実に突き止められてしまうからすぐに通報したほうが罪も軽く済むことも知らない。ただ、その場から逃げ出すことしか考えない。
まだ青い桃が大量に盗まれた事件があったときも、ベトナム人は、実は青い桃にチリソルトをつけて食べる習慣があることから、ベトナム人だとすぐに分かった。熟した桃はむしろ嫌われるらしい。そのように、彼らはベトナムの習慣に従い、日本の風習や法律、文化を知らずに、仲間内だけで助け合って国内を移動する。警察が助けてくれるとは全く思えないから、トラブルがあれば仲間の有力者に助けを求め、うちわで制裁が行われたりもする。シカゴのギャングたちの社会のことを思い出す。彼らの社会もまた、治外法権であった。日本のボドイたちも、彼らの社会は彼らの論理で回って、時としてそれが日本のシステムとかち合って、犯罪と認識されるに至るのだ。
外国人犯罪はかつては中国人が最も多かった。が、中国は経済力をつけ、日本に荒稼ぎをしに来ることは減った。それに代わったのがベトナム人である。だが、作者は言う。もう少しすればベトナムは経済力をつけて、ボドイは減るだろうと。それに代わって、今度はカンボジア人アミャンマー人が台頭する。そうやってぐるぐる回っていくだろう。
日本は、外国人労働者の雇用の在り方をもう一度考えなければならないと思う。彼らの基本的人権を守り、よりよい労働条件を作らねば、こうした問題は解決しない。それとともに、彼らと共生するためにルールを共有すること、文化を認め合うことにも努力しなければならないと思う。
ひと昔前の日本人がたくさん海外に移民していった、彼らの苦労を思い出す。それと同じことが起きているのだとしたら、私たちはもっと彼らを自分ごととして捉えるべきなんじゃないだろうか。