南太平洋の環礁にて

南太平洋の環礁にて

73 畑中幸子 岩波新書

「女二人のニューギニア」に登場した文化人類学者、畑中幸子の著作である。彼女はこの本を上梓したのちにニューギニアに行き、有吉佐和子を迎えたのである。有吉作品のなかでは豪傑の彼女だが、この作品では真摯な学究の徒である。まあ、本人が描く本人なので、豪放磊落な描写などするはずもないと言えばそれまでだが。

1963年から二年間、作者はポリネシアのトゥアモツ群島のプカルアでフィールドワークを行った。タヒチ島から二週間、スクーナーに揺られてようやく到達する。四十に余る小さな島々が数珠玉のように並び、中央にラグーンを持つ群島である。

プカルアに行く船の船客ベッドを一週間も前からチケットともに予約してあったが、乗り込むとすでにベッドは満員で立錐の余地もない。かといってキャンセルすると、次の便は二週間は後になるし、それすら船長の気分次第である。居場所もろくにない状態で船に揺られ、デッキの端っこで座り込んで眠り、かろうじてあてがわれた食事も船酔いでろく口にできない状態で、何とかプカルアに降り立つ。

ヤシから作るコプラが主産業のこの島だが、どれくらいのコプラが生産され、どの程度の収益が上げられているか、誰も答えられない。人口がどれくらいであるのかも正確にはわからない。皆で魚を捕り、分配し合う。誰かが何かを食べるときには近くにいるものが分け合う。それでもコプラを売れば現金が手に入るという貨幣経済は確かに入り込んでおり、中国人が開いた店では買い物もできる。品物があれば。

家族、親子、結婚などの概念も確実ではない。料理人として現地の女性を雇ってみても、気が向かなければ働かない。そもそも雇われるという概念がない。そんな中で彼女は二年間を過ごし、少しずつ現地に溶け込み、養子にしたいような少年と仲良くなったりもする。

ケネディ暗殺事件があったのもその時期である。だが、プカルアの人たちにとっては何の興味もわかない事件である。そして、フランスが、核実験を行おうとするが、それも彼らはあまり理解しない、興味も持たない。ただ、フランス人が大勢来て、それを花束で歓迎するような行事があるだけである。

研究資金も底をつき、プカルアを後にするときがくる。帰る船の中で、病人をドイツ人のドクターが診察し、注射をしようとして殴られたり、ぐったりしていたはずの患者が逃げ回ってもらった薬を海に投げ込んだりする。たかが二年でプカルアの何がわかるのだろうか、と彼女は思う。

もう60年も前ののどかなポリネシアの話である。今はもう違っているのだろう。貨幣経済も未発達の、相互扶助のコミュニティの時代。調査研究も難しかったことだろう。子どもたちの無邪気さ、中国人商人のしたたかさが印象に残った本であった。