国のない女の一代記
71 倉沢愛子 岩波書店
「歌わないキビタキ」で紹介されていた本。梨木香歩さんは、あまり知られてはいないけれどとても面白い本をいつも教えてくださる。
元松前藩士の娘として明治に函館で生まれ、18歳で帝政ロシアの貴族ニコライ・グラーヴェと結婚し、オランダ領東インドで農園を切り開いた日本女性、三輪ヒデ。日本のインドシナ侵略、敗戦、インドネシアの独立…。様々な歴史に翻弄されながら、オランダやアメリカにも移住し、時に日本にも里帰りし、最期をインドネシアで迎えた。いくつもの国境を軽々と超え、無国籍になり、オランダ国籍を得、刑務所に収監されたことすらある。歴史に名を残さずとも、こんな風に華麗に生きた女性がいた。その事実を知り得たことは本当に興味深く、面白く、感動と勇気を与えられさえする。
インドネシアの歴史を専門とする作者はジャカルタの国立文書館で未整理の文書の山を掘り起こしていた。その中にあったのがオランダ軍事使節団の顧問からジャワ島バンドゥン在住の白系ロシア人に1947年に送られた手紙であった。日本軍の軍属と結婚して終戦直後に日本に嫁いだ彼の娘二人がインドネシアへの帰国を望んでいるという知らせである。それに対するロシア人からの返信はなく、代わりに州長官からの回答があった。その白系ロシア人は現在オランダ当局によって投獄されており、その娘たちの母親ヒデは日本人で同じく対日協力の咎で投獄されているというものであった。この二通から、明治生まれの女性がロシア人と結婚してオランダ領東インドバンドゥンに住み、生まれた子どもたちが結婚して日本に渡っていた事実が明らかとなる。そこから長い時間をかけて、まるで謎解きのようにこのファミリーの歴史が掘り起こされた。この夫婦の末娘、リリーさんがまだバンドゥンでご健在だったことが大きな謎解きのカギとなった。
ヒデは七人の子を産み、22人の孫を得た。その中には「ミス・インドネシア」に選ばれたり、バンドゥンの名士一族に嫁いだり、スカルノ大統領の息子と結婚した者もいた。イタリアのブランド、プラダの日本支社を立ち上げた者もいる。最近テレビで活躍中のデヴィ夫人もヒデの友人の一人であった。残されたたくさんの写真はとても興味深い。夫婦は後に離婚し、夫はインドネシアに残留したが、ヒデは世界中を住み歩いた。決して有名ではない一人の日本人女性の波乱に富んだ人生は実に面白いものだった。こんな人生もあるのだなあ。