117 網野善彦 中公新書
副題は「戦後史学史の一齣」である。(ちなみに末尾の漢字は「ひとこま」と読む。)
網野善彦は歴史学者だが、いわゆる権力史ではない、ごく普通の民衆や庶民のくらしに焦点を当てて歴史を紐解く学者である。教科書に載っていないような地道な歴史の研究者なので、この人からは知らないことをたくさん教わる。
戦後の混乱期、そのような民衆史の一つとして漁村の歴史を研究、史料を収集整理して資料館を設立するという計画があった。全国から大量の文書が借用されたが、事業は打ち切られ、集められた文書が残された。網野氏はその計画の一端を担ったものとして40年の歳月をかけ、文書の調査、返却を果たす。その過程において、彼は様々な文書が保存されていた各地を回り、時代の変遷やその地域の人々の生活への思いを知る。それは、彼自身の歴史観や民衆観にも大きな影響を与えた。
漁村文書の資料館を作るという壮大な計画があったのにそれがとん挫したという経過を私は知らなかった。理想に燃えて始めたものの、うまくいかなかったことは仕方ないとしても、それを先導していた学者が、実はお預かりした文書の整理を怠っていたり、研究のため一部を抜き出して自宅に持ち帰ったり、事業打ち切り後も資料の散逸を防げなかったり様々な問題があったことには驚いた。自分の研究には熱心だが、その文書に込められた長い歴史や人々の思いに対して無頓着な学者、専門家がいたとは残念な話だ。だが、そのことに強い責任を感じ、なんとしてでもお返しせねば、と努力した網野氏の行動は彼自身にも大きな意義を与えている。
十数年の時を経て文書を返しに行くと、もうその家の当主た代替わりしていたり、あの文書はどうなったかを気にかけ続けていた人がいたりもする。その一方で、借りっ放しにしていたことに怒りもせず、よく返しに来てくれたと喜んでくれたり、大事にしまってあった借用証書を返してくれたり、そして新たな文書を提供してくれたりと、地元の人々の温かい対応がある。人は、誠実に向き合えば、誠実に答えてくれるものだし、その地の歴史を大事に守っている人がどこにでもいるものだ。
歴史は、誰が権力を握ってどんな政治を行ったか、だけではない。人々がどんな生活をし、どのように活計を得て、どのように土地や河川、海の領域を守り、資源を得てきたのか、どのように集落が守られてきたのか、他の地域との交流はどのように行われてきたのか、などなど様々な分野に及ぶ。そして、それらは、間違いなく地域生活者自身によるものである。それらを書き記した文書は古くなり、重ねられて固まったり、襖の下張りにされたり、蔵の奥に箱に詰め込んで放置されたりもしているが、そこには生きた歴史が埋まっている。貴重な資料なのだ。それら文書を一つ一つ丁寧にほぐし、読み解き、写し、返却する。それこそが歴史の研究の第一歩だ。
網野氏はこういった文書を収集し、整理し、事業打ち切りの後には、散逸したそれらを再度探しなおし、返却先を調べ、直接返却してまわった。そのことが、彼の歴史研究に大きな影響を与えたことがこの本からよくわかる。彼の研究の誠実さというものが同時に伝わってくる。
小さな本だが、読み通すには時間が必要だった。たくさんの学者、関係者名が登場して、うまく整理がつかなかったこともある。だが、その氏名を記すことも、この本の意義の一つであったと思う。文書返却のために訪れる様々な土地の話を読むうちに、私も対馬や佐渡や徳島、茨城など各地に行ってみたくなった。
