10 角幡唯介 新潮社
久しぶりの角幡唯介。身体で勝負する冒険家、探検家、登山家のくせに、彼はものすごく頭でっかちで理屈っぽい。今回は、地図なしで北海道の日高山脈をひたすら踏破するのだが、なぜそんなことを始めたのか、最初に理屈が延々と述べられる。脱システムなんだそうだ。もはや地球上に未踏の地はなく、地図の空白部は埋め尽くされている。命を落とす危険性のある主体的な行動であればそれは冒険だとかつて本田勝一は定義した。だが、それに疑問をもった彼は、システムの外側に飛び出すこと、日常から非日常へ踏み出すことこそを冒険と考えるに至った。地図があると予測がついてしまう、どう動けばいいかがわかってしまう。それを避けるため、彼は日高山脈を地図なしで歩こうと考えた。余計な知識を手に入れないために、日高山脈に関わる会話を避け、地図を見る時も日高近辺からは目を背け、あらゆる情報をシャットアウトする努力を重ねた。それでもいくつかの情報は入ってしまう。それらを何とか聞かなかったことにしたり、あるいはある種の印象に留め置いて月日を重ね、ついに実行した。
2017年、2020年、2021年、2022年の四回に渡って彼は地図なしで日高山脈に挑んだ。最初の二回は単独で、あとの二回は友人と二人で。結果、日高山脈の主要部分はほぼ踏破するに至った。歩きながら手書きでざっとした地図を作り、地名を命名し、標識があればその名前にしたがった。すべてを終えた後で、本物の地図での答え合わせも行われたのであるが、その話はこれから読む人のために書かないことにする。
自分の行動に理屈を重ね、思考が暴走する角幡氏である。もういい加減にこね繰り返すのやめようぜ、と言いたくなるほどに「人はなぜ目標を定めるのか、そもそも目標とは何なのか」「人はなぜ旅をするのか、移動するのか、それは本当に経済的、食糧捕獲的な理由だけなのか、いやそんなはずはない・・・」などとぐるぐる考え続ける。あー、イラつくぜ!いったん読むのをやめたくなるほどである。が、ひとたび登山に入ってしまえば、楽しい。最初は登山こそ崇高な行為であって、釣りなんてのはそのための食糧確保の道具に過ぎないと思っていたのに、いつのまにか釣りに魅入られ、夢中になる。それでも、それでいいのか…と例によって思考が暴走するが、結局のところ釣りの楽しさに心奪われ、どっちが目的かわからなくなっていく。そういう部分こそが実に楽しい。そうだよ、理屈じゃないんだよ、と笑ってしまう。
頭でっかちな理屈はこねるが、つまりは、知らん場所をうろつくのは楽しい、それが多少危険であっても、危険であるからこそ楽しいんだよね…という話なのである。これは、わかる。私も旅に出るときに、事前調査が過ぎると現地に行って「ああ、これが例のあれね」という確認作業になってしまう。あまりよく知らんままに出かけて行って「うひゃー、こんなすごいものがあるのかー!」と打ちのめされるほうが遥かに旅は楽しい。調査が足りな過ぎて移動が困難になったり、ひどい目に遭うのは辛くもあるのだが、その経験も帰宅してしまえばすべて楽しい思い出に代わってしまう。まあ、命の危険はないほうがいいし、そこまで頑張ることは私にはないけどさ。
危険な目に遭いながら冒険し続ける角幡氏と、お気楽な旅をする自分を比較してもどうもならんとは思うが、この本に書かれていることはわからなくもないぞ、と思う私である。それにしても角幡さん、そんなに理屈捏ねてばかりだと疲れないのかなあ。私も理屈っぽい方だが、ここまでぐるぐると思考し続けると、さすがにやりすぎのような気もする。まあ、それが業(ごう)というものなのでしょう。面白い本であった。