夕暮れに夜明けの歌を

夕暮れに夜明けの歌を

2024年6月18日

65 奈倉有里 イースト・プレス

友人が褒めていた本。読んでみたら、素晴らしかった。

作者はロシア文学研究者にして翻訳家、ジャーナリスティックな文章も発表している文学博士である。語学好きで趣味でドイツ語やスペイン語を学ぶ母親に触発されてロシア語を勉強し始め、二十歳になる頃にはロシアに飛び、いくつかの学校を経てロシア国立ゴーリキー文学大学を日本人として初めて卒業。その間のロシアの日々のエピソードを中心に書かれたのが本書である。

かつてのアエロフロートのいい加減さ、恐ろしさは、それをまさしく経験した友人の話で知っていた。作者も、飛ぶはずのアエロフロートが欠便となり、見ず知らずのおじさんと息も絶え絶えに代替便を探してペテルブルグに到着する。乗客の座っていない椅子がバタバタ前のめりに倒れるような機体であった。

テロが頻発し、チェチェン問題が起き、貧富や宗教による人々の分断が進む中、彼女はひたすらにロシア文学を学び続ける。日常は酔いどれながらも、強い情熱をもって、教科書もなしに、怒涛のように語り続けるアレクセイ・アントーノフ先生との出会い。講義のすべてをノート上に再現しようとする作者。

学ぶということには時々これが起きる。良き師、良い講義、良い学びとの出会いは滅多にないが、ひとたびそれに出会うと、何度でも反芻することができ、そして、いくらでもそこから学び取れる。そんな奇跡的な瞬間があるから、人は学ぶのだ。

「学問の子になりたい」と彼女は当時の日記に書いていたという。鉄腕アトムか、と自分で突っ込んでいるが、まさしく彼女は学問の子であった。学ぶということの豊かさ、深さ、大切さが、身体に沁み込むように伝わる本である。私がなぜこれほどに本を読むのか、読みたいのか、何を知りたいのか、何を考えたいのか。それへの解のひとつがこの本には書かれている。生きるということと、本を読むこと、学ぶことの大事なつながり、意味、その力が書かれている。

文学は、言葉という道具を介して、見知らぬ場所の見知らぬ人、遠い昔に死に絶えた人、思想も宗教も文化も風習も違う人と繋がりあい、理解し合い、助け合い、分かり合うことができる光のようなものである。私たち一人一人の短い生の期間を照らしだす力がある。それを今一度思い出せるような本であった。

明解でわかりやすく美しい文体だった。それなのに、すいすい読むこともできず、何度も何度も立ち止まり、時間をかけて読みたい、そんな本であった。