夢ノ町本通り

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2024年12月7日

141沢木耕太郎 新潮社

「心の窓」以来の沢木耕太郎である。これは、書物をめぐるエッセイを集めた本で、古いものは30年前のものも収録されている。それは「深夜特急」の旅に出る前ーその旅費を作るために書かれたエッセイである。紀伊国屋梅田店で本屋見習いと言うか、丁稚奉公のようなことをしたルポだ。この人は、若いころから読み手を引き付ける文体をもっていたことがわかる。それにしても、当時の本屋は活況を極めていて、忙しさに紛れて客との触れ合いができないことを不満がったりしているから、隔世の感がある。そんな頃もあったのだなあと遠い目になってしまう。

何しろ本に関わるエッセイだというだけで30年分集めてあるので、全体のばらばら感は否めない。本として、というよりは、ひとつひとつに様々な感想が湧くのであって、これがどんな本であったかをここに書くのは難しい。ただ、いくつか印象に残ったものはある。たとえば、モハメッド・アリについてのエッセイは、子どものころ、なぜ私が彼、モハメッド・アリにあれほど惹かれたのかその理由を教えてくれるものであった。私はモハメッド・アリがどのような人なのかもほとんど知らず、ただ、彼の姿をテレビで見て直感的に「この人はすごい」と思った。殴り合いなど好きでも何でもないのに、それからボクシングを見るようになった。モハメッド・アリがどんな人だったのかを知るのは、もっともっと後のことなのに。

山本周五郎の作品について、かなり長い文章が収録されている。私はそれほど山本周五郎を読んでいるわけではないが、「さぶ」を読んで「なんて日本人的なんだろう」と思ったことは覚えている。当時、私は福祉系のある通信教育を受けていて、そこでのレポートとして「さぶ」を取り上げたのだった。温かい人情ものとして評価されているこの物語を、私は「美しいけれど、それでいいのか、本当に?」と書いたのだ。それを思い出した。

このエッセイ集では、山本周五郎の描く女性について取り上げられている。「松の花」に登場するやすという女性は、武家の妻として夫に仕え、子を育て、大過なく家を守り、死んでいく。それをおっとりとした柔らかさでおこなっていたため、夫は妻が陰でどのように心を砕き、心を配っていたか死ぬまで知らなかった。彼はやすの形見分けをしようとして、タンスにあまりに貧しいものしか残っていないことを衝撃を受ける。嫁や使用人には高価な着物を贈りながら、自分は木綿の粗末な服を洗い、繕い、着続けていたことに初めて気づく。

山本周五郎は、母の通夜の席で近所のおかみさんたちが、母から受けた小さな恩義についてのあれこれを語っているのを耳にする。父すら母がそのようなことをしているのを知らなかったという。それをもとに山本周五郎はやすを描き、「日本の女性のもっとも美しくたっといことは、その夫さえもきづかないところにあらわれている。」と語っている。

それは美しいことなのだろうと私も思う。だが、同時にひねくれて、こうも思う。誰にも気づかれず、人にささやかな親切を施し、自分だけが質素に我慢強く日々を送る。そんな人が身近にいたら、さぞかし便利だろう、都合がいいことだろう、と。その便利さ、都合のよさを美しくたっといことだとし、亡くなって初めて気づかれることが素晴らしいとする。それは、本当に良いことなのか。素晴らしいことなのか。そういう人であれと言われて私はどう感じるのか?と。

「松の花」を読みもしないで偉そうにもの言うべきでないのはわかる。だた、私はこのエッセイを読んで、もう30年以上も前に書いた自分のレポートを思い出し、やすという女性が尊ばれることに今も違和感を持つ自分を再認識した。それだけでのことではあるが、それは価値ある時間であった。

本の最後に収録された「本を売る」も面白い。沢木耕太郎は、ブラジルに私設図書館をつくる知人に大量の本を送ってきれいさっぱり本を処分した。だのに、また仕事場が本であふれだし、今度は茨城県の貸倉庫にそれを送った。ところが東日本大震災の後、その倉庫と連絡が取れなくなり、いつのまにかその会社は倒産しており、大量の本はどこかへ消えてしまった。だが、不思議にあまり残念ではなく、むしろ身軽になったような気がした。ところが、しばらくしてまた本はあふれ出す。そして今、三度目の本の大整理を行い、売ろうとしている…という話。「本の雑誌スッキリ隊」のお世話になった我々夫婦には、身につまされる話であった。