67 ルシオ・デ・ソウザ 中央公論社
「歌わないキビタキ」で梨木香歩さんが紹介していた本。戦国時代の日本には奴隷となった人々が多数おり、ポルトガル人によって海外に連れ出されていた。数々の史料からアジア各地、メキシコ、そしてヨーロッパに渡った日本人の存在、そしてアジアにおける人身売買がどのようなものだったかを明らかにしているのがこの本である。
秀吉の出した伴天連追放令の背景には日本人奴隷の人身売買があったという話をどこかで読んだ記憶がある。それは事実だったのだ。もちろん伴天連追放の理由はそれだけではなかったのだろうけれど。
クリスチャン家庭に育った私は日本へのキリスト教の伝来とその後の布教、そして禁教、迫害の歴史には子どものころから興味があった。子どもの私は、島原の乱や多くの信者や伴天連の殉教死などをある種の美を伴う悲劇のように受け止めていたと思う。だが、布教活動を行ったイエズス会はその一方で日本人の人身売買や海外への連れ出しも行っていた。人を救うと言いながら、買い取り、売り飛ばす活動にも熱心だったというわけだ。
日本人奴隷たちは、まず、洗礼を施されてから売買に出されたという。受洗は、いわば「人間化」である。当時の西洋人たちにとって異教徒は人間ではなかったのだから。そして、洗礼を授けるのは、言うまでもなく司祭、パードレである。であるなら、彼らが人身売買を知らなかったり批判的であったはずがない。
当時、キリスト教において、正戦における捕虜は奴隷としても良いという規則があったという。正戦とは、キリスト教に基づく異教徒との闘いである。しかし、戦国時代の日本において各大名同士の闘いは「正戦」には該当しない。そうした戦さにおける捕虜たちを奴隷として買い受けるロジックを彼らはどうしたか。売りに来る武士も、買い受ける商人も、それが「正戦」であるかどうかはわからないが、正しく上司の命にしたがっただけであるので良しとする、という判断が行われたらしい。これはまさにナチスドイツのアイヒマンの論理である。その当時からアイヒマンが是認されていたのだ…と愕然とする。いずれにせよ異教徒との闘いの捕虜ならいいよ、という判断だって人権感覚のかけらもないのだけれどね。そういう時代であったということだ。
以前、旅先のジブラルタルで港まで送ってくれた若い運転手が「ドラゴンボール」の大ファンで、自分の人生に「カカロット(主人公の悟空のこと)」がどのように影響したかを熱く語ってくれたことがあった。その時、彼の話はなんと天正遣欧少年使節におよび、スペインに現存する「ハポン」という姓は、当時日本からスペインに派遣されてそのまま居残った人間の子孫と言われていると興奮気味に語っていた。だが、この本によると、その天正遣欧少年使節よりもさらに前に、すでにスペインやポルトガルに日本人は存在したという。幼児期に奴隷として日本から連れ出され、各地を転々としてヨーロッパにまでたどり着いた人が数人はおり、結婚し、子孫も残したという。メキシコやアルゼンチンにも日本人の痕跡がある。まあ、そうだ、海はつながっているものなあ。様々な運命で流れ着く人はいたのだろう。そうした人々ひとりひとりの人生を思うと気が遠くなるほどの想像が膨らむ。
そういえば、子ども時代に「くろすけ」(来栖良夫)という児童書を読んだ覚えがある。織田信長が宣教師から譲り受けたという黒人の家来の話である。彼は「弥助」と呼ばれる、アフリカ大陸から買われてきた実在の奴隷であった。
この本の著者はポルトガル人であり、訳者は彼の妻、岡美穂子氏である。2013年には出版が決まっていたものの、仕事と二人の娘の育児に追われてなかなか進まず、翻訳家吉田尚宏氏の助力も得てようやく形になったそうだ。もとになる書籍は本書の三倍の量があり、残りは今後の課題であるという。育児と仕事の両立が大変でなかなか出せなかったというあとがきに、この本の前に読んだ二冊を思い起こしたりしながら、何とも様々な思いが湧き上がった。