113 林真理子 講談社
この物語は、梨園(歌舞伎役者の世界)の妻が世界的な写真家と出会って、役者となる息子を育てながら婚家を離れ、写真家と再婚し、再婚相手が亡くなるまでの実話をもとにしている。歌舞伎が好きな私ではあるが、そんなスキャンダル(!)があるとは全く知らなかった。そして、これを読んで、なるほど、騒ぎにならないように周囲が慎重に行動したのだな、と思い至った。奇跡のように美しい純愛の物語、である。
日本舞踊が大好きで、それを究めた女性が歌舞伎界の御曹司に嫁ぎ、後継ぎを産み、梨園の嫁として立派に役目を果たしながら、その裏では世界的な写真家との愛をはぐくみ、息子の元服を機に離婚、再婚する。だが、その時にすでに相手は癌に侵されていた。そして、数年の後に亡くなった。林真理子は、その女性と子どもの幼稚園時代からのママ友であり、最初はこんな話は世間には秘しておかねばならないと言われていたが、ついには、わが子のためにもむしろ発表したい、と言われて小説にしたのだという。そんなドラマチックなめぐりあわせは、近くに林真理子がいたということも含めて、確かに奇跡だわね、と思う。
書評によると、これを読むと女性は涙する、という。でも泣かなかったな。涙はどこにも出なかった。なんでかな。あまりにも遠い世界のことだったからかもしれない。外側から冷静に描かれすぎて、感情をもって入れ込む部分がなかったからなのかもしれない。けれど、それ以上に、いつも美しく、立派で、隙がなく、愛に満ち溢れて、相手のことだけを考え、願い、スタイリッシュで、「誰から見ても恥ずかしくない」(と言う表現が文中にあって、私は、ああ、これか…と思った)物語だったからかもしれない。人間のみっともなく、かっこ悪く、どうしようもなく、ぐずぐずと崩れてしまいそうな、隠してしまいたいような部分は何ひとつない、輝かしい物語だったからじゃないだろうか。よくできた美術品や人形のようで、見て楽しめるとしても、「それは私でもある」とは全く思えないからだ。
たしか「RURIKO」(浅丘ルリ子)や「アッコちゃんの時代」でも同じような感想を持ったのを覚えている。美しくて恵まれていて、誰からも羨望を持って語られる女性の物語を、そのまんま、美しく描く物語。それは、全然心に迫らないんだよなあ。私が美しくもなく、羨望もされない人間だからかもしれないけれど、まあ、たいていの人間は、そういうものだからね。という身も蓋もない感想をもって、この文章を、終わろう。