女二人のニューギニア

女二人のニューギニア

69 有吉佐和子 朝日新聞社

有吉佐和子はすごい。改めて思う。この人が53歳という若さで亡くなってしまったのは、本当に惜しい。もし、生きながらえていたらどれだけ面白いものを書いてくれたのか。

この本は、彼女が1966年に同郷の文化人類学者、畑中幸子氏の誘いにうかうかと乗って、当時まだ未開であったニューギニアを訪れた話である。有吉氏の体力のなさと、畑中氏の豪傑ぶりの対比が非常に面白い。都会では豪傑の有吉氏が、未開の熱帯では実におとなしく、しおらしく、たいそうな怖がりであった。

もともとジャカルタに行く予定のあった作者は、そこからニューギニアに行くのに、マニラ経由で行きたいと言ったら、日本のエージェントはジャカルタ・マニラ間のフライトはないと断言した。それで彼女はジャカルタからオーストラリアのパースを経てシドニーに一泊し、そこからニューギニアのポートモレスビーに大回りすることとなった。ところが、ジャカルタに行ってみると、ガルーダ航空は週に一度ジャカルタとマニラを往復していた。しかし時すでに遅し。エージェントへの怒りを抱きながら、彼女は大回りでポートモレスビーについた。そこから小さなプロペラ機に乗り換えてウイワックという場所へ行く。そこに畑中氏が迎えに来ていた。ウイワックからオクサプミンというところまでは、週に一回飛んでいるキリスト教ミッションの飛行機に乗って行く。それが、そこらの子どもがさんざん遊び倒したおもちゃのような、007がスーツケースから取り出して見る間に組み立てたような飛行機である。そしてオクサプミンから畑中氏の滞在するヨリアビまでは、二日かけて歩く、と聞かされた。

その辺りで、すでに有吉氏は、なぜ、周囲の人たちは、私がニューギニアに行くと言ったときに誰も止めなかったのか、と激怒していた。こんな危険な大変な場所だと知っていたら来なかった。ニューギニアに行くことを話した相手は国際的なジャーナリストだっていたのだし、どういう場所か知っていたら、無理だよとひとこと止めてくれても良かったじゃないか、と怒りまくっていたのである。

現地人は八時間で歩きつくというヨリアビに、彼女たちは三日かけて到達した。畑中氏は慣れたものだが、有吉氏は、何しろ日本橋では三越と白木屋(今の高島屋?)の移動にタクシーを使うという軟弱者である。二日間歩いた時点でヨレヨレになって足の爪をはがし、最後は現地人におぶってもらい、それも無理な地形では、なんと捕獲した野ブタを搬送するかのように大きな枝にあおむけに括りつけられて運ばれた。「あんた、恥ずかしくないの?」と畑中氏に何度も問われて、歩くよりましだと答えた作者である。

ヨリアビでは、豚の牙を鼻に刺した男や、鸚鵡のトサカを小鼻の穴に通し、目と目の間で十文字にぶっ違えている男などが片手に弓矢をもって迎えてくれた。彼らの皮膚はワニのようにひび割れ、何らかの皮膚病のように思われた。脚には象皮病もあった。そんな彼らの集落のなかに畑中氏はオーストラリア政府から大きな家(といっても隙間だらけの草小屋)を建ててもらい、シシミンという彼ら部族の調査をしていた。

本当はすぐにでも帰りたかった有吉氏だが、ジャングルを三日間歩くうちに足の爪をはがし、その痛みと、あの行程をまた行くのかという疲労への恐怖とで、どうしても戻る気にならず、一か月ほど滞在することとなった。その間、畑中氏の持っていた布切れで、裸同然の現地人に11枚のパンツを手縫いしてやったという。シシミンの有力者の一人が有吉氏を気に入ったらしく、彼女を毎日嘗め回すように見るようになった。それを気味悪がる有吉氏に畑中氏は「このあたりじゃ女性は野ブタ二匹で取引されるのよ。でも、あんたは体が大きいから三匹にしてもらえるかもしれん。」などと言う。

シシミンの一人をコックに雇った畑中氏は、そもそも衛生という概念がない彼に、手を洗うことを教えた。今では何をする前にも手を洗うようになった、と彼女は嬉しがるのだが、有吉氏が朝、そのコックの様子を見ていると、水を汲んできて、そこに手を突っ込んで洗い、その水をそのまま火にかけて沸かし、紅茶をいれた。手を洗った水は捨てて、それ以外の水を沸かせと言うと混乱をきたすと判断した二人は、今までもそれを飲んでいたのだから、とそのまま飲むことにした。

…というようなエピソードが続き、有吉氏は思いがけない機会を得て帰国が叶う。が、その後、高熱を何度か出し、結局マラリアと診断され、長期入院を余儀なくされた。まさしく命がけのニューギニア行きだったのである。

三十代から睡眠薬を常用していた有吉氏であるが、ニューギニアでは薬なしに毎晩十時には寝て六時には自然に起きていたという。もしかしたら、彼女には自然な生活が向いていたのかもしれない。にしてはハードすぎる環境であったが。都会で仕事に追いまくられる生活でなければ、もう少し長生きできたのではないか、などとつい考えてしまう。ちなみに豪傑だった畑中幸子氏は、ネット情報によると、百歳近くで、現在まだご存命である。さすがだと思った。

図書館で借りたら古い本であった。裏表紙に袋が貼ってあり、昔懐かしい図書カードが入っていた。