好きよ、トウモロコシ。

好きよ、トウモロコシ。

132 中前結花 hayaoki books

近所に小さな本屋がある。新刊も古書もあれば、個人に棚ごと貸して好きな本を売れるようにもしてある。本を並べた人が、どんなことを考え、何が好きで、どんな本が売りたいのかが何となく伝わってくるような温かい本屋である。そこで、この本を見つけた。裏側に「取引代行TRANSVEW」というシールが貼ってあった。よくわからないけれど、ふつうの流通とは違うルートで売られているのかな、と思った。であるのなら、今、ここで会ったときに買っておかないと二度と買えないかもしれない。よくわからないけど、そんな気がして買ってしまった。もう本は増やさないようにしようと思っていたのに。(そう思っている割に、じわじわ増えている…ことは見ないようにしているのに。)

温かいエッセイであった。子どものころからのいろんな気持ち、安心も不安も戸惑いも嬉しさもぜんぶ見覚えがあるけれど、でも、それが、作者でなければ言い表せないような言葉で綴られていた。前から知っている仲間のような人、傍で時々内緒話をしては笑い合えるような人と一緒に時間を過ごしたような気持ちになった。

下北沢でいくつもの本屋を巡り歩く。作者はそれを「本のパトロール」と呼ぶ。そして、その度に何冊か買ってしまう。本と目が合えば観念して買ってしまう。私も長いこと「本屋巡回」といって同じようなことをしていたし、いつのまにかカバンがずっしり重くなったものだった。作者のお母さんは「本を買うときのお金は、無くなったような気がするだけ」といって作者を育てた。「本に使ったものは、無くなった気がするだけで、後から必ず全部戻ってくるから気にせんでええんよ」

なんと良い言葉だろう。それは真実だ。本は、それが読んでみたらどんなにつまらない本であったとしても、そのつまらない本を買ったということ、読んだということ、あるいは途中で読み止めたということも含めて、血となり肉となる。様な気がする(笑)。もちろん、良い本はストレートに心に響き渡り、私を育て、前を向かせてくれる。本に使ったものは無くなった気がするだけ。なるほど、そうだったんだ!

良いお母様だったのだなあ。そんな人に育てられた人だということがしみじみわかる、良いエッセイであった。この人のエッセイを、もっと読みたい。