大石学 監修 Gakken
今回は番外編である。私ではなく、母の読書の話。
私の母は90歳である。終戦を小学校六年生で迎えた。女学校に入学し、途中で学校制度が改革されて、通っていた学校はそのまま高校になった。一学年下からは共学となった。廊下ですれ違う男子学生を教師と間違えて、いちいちお辞儀をしては笑われたという。
そんな時代に育った彼女は、日本の歴史を学ぶ機会を逸していた。神話がらみの日本史は教えてはいけないこととなり、授業は停止された。その後、新たに学ぶはずだったが、なぜか世界史を教えられたという。しかも、その世界史もちんぷんかんぷんで、結局、歴史というものを全く知らずに大人になってしまった。そんなことを、いつも母は愚痴っていた。
日本史を知らないという彼女の愚痴は常態化していたので、生前、父は母のために立派な日本史全集を購入した。だが、それはかなり専門的な全集であり、かつ、第一巻は縄文土器や弥生式土器といった人間味の少ないところから始まるので、興味がわかない母は、第一冊目の数十ページで挫折していた。そのまま時は過ぎ、父は亡くなった。
母は、八十代に入ったころは、認知症の父の介護に明け暮れ、父がグループホームに入ってからは足しげく面会に通っていた。一年ほどして父が亡くなったときは実感が沸かず、何かほっとしたような気分さえあったという。それから葬式や遺産相続などのごたごたが収まり、普通の生活が始まって、ようやく自分が一人であることに気が付いた。生まれて初めての一人暮らしの寂しさと心細さ、そして何事もすべて父が判断し決定していたのに、何もかも自分で決めて実行しなければならないという現実に打ちのめされた。一時期は食欲も失い、ヨーグルトだけで食いつないでいた時期もある。近居の姉が週に一回様子を見に行き、新幹線の距離の私が月に一回、二泊して手伝い、毎日メールをやりとりするというサイクルができ、寂しいなりに一人暮らしにも慣れて、食欲も戻ってきた。
寂しさを紛らわそうと、かつての趣味だった手芸を試みても、書痙があり、手がひどく震えて使い物にならない。しかも、耳も遠くなり、補聴器を使ってすら通常の会話に困難がある。テレビを観ても楽しめない、手仕事も難しい。少し動くとくたびれ果てる。寂しさを紛らわせる手段さえないという彼女に、私は日本史マンガはどうだろうと提案した。
母は、子ども時代、私にマンガを禁止した人である。友達が「りぼん」や「なかよし」を買ってもらっている時代、私はマンガは悪であると厳禁された。だからこそ、私は友だちの家に遊びに行くとむさぼるようにマンガを読んだ。大人になってから大量のマンガを買って読みふけったのは、そんな過去のせいもある。友達の親が「うちは子どもに漫画で日本史を学ばせてるわ」というのを聞いて、母は「この人はなんてくだらない人なんだろう」と思ったという。そんな母に歴史まんが。無謀ともいえる試みだが、物は試し。書店で各出版社の歴史まんがを比較検討し、もっとも簡潔でわかりやすそうなものを選んだ。それが、この「学研まんがNEW日本の歴史」だったのである。
第一巻の縄文式土器のあたりはどうやら苦手であると知っていたので、母もおなじみの聖徳太子が登場する第二巻を最初に買って持っていった。試しにこれ一冊を読んでみて、もう少し読みたいと思ったら次の巻を買ってくるから、無理をしないでゆっくり読んでみて、と渡したのである。そういえば、それ以前に矢部太郎の大ヒットマンガ「大家さんと僕」を母にプレゼントして、意外なほど喜んでもらえたことがあった。それもあってか、案外、抵抗なく歴史まんがは受け入れられた。月に一回泊りに行く私に「第二巻は読み切ったので、続きを読んでみたいわ。」と、母は言った。それから、ひと月かふた月に一回、母はゆっくり歴史まんがを読み進めた。時は過ぎ、最初に第二巻を読み始めてから二年ほど経っただろうか、ついに巻は昭和に進み、母は「なぜあんな風に中国との戦争がはじまり、それが大戦になって行ったのか、初めて知ったわ。やっとわかったわ。」と言うに至った。最後の平成、令和の巻を読み終え、そして、改めて縄文式土器の第一巻に立ち戻った。すると、意外にそれも読めたらしく、ついにこの度、十二巻すべてを読み切ったのである。
敬虔なクリスチャンでもある母は、これまでの人生で聖書を何度も通読してきたという。その回数の多くは新約聖書だったが、最近、旧約聖書を読み返し始めたら、これがたいそう面白いのだという。今までそんなことを思ったことはなかったが、それでどうなるの?とワクワクしたりするのだそうだ。今までにも何度か通読はしていたはずなのに。たぶん、歴史的なものの見方を今までしていなかったからかもしれない。あるいは九十年間の人生経験が、面白くさせているのかもしれない。日本史のマンガと旧約聖書の二種類を、毎日、少しずつゆっくり読み進めて、それが彼女のちょっとした日課となっているという。なんか、すごい。頑張ってるじゃんか。
母は冬には九十一歳になる。近所に住む四歳年上の友人が先ごろ亡くなった。がっかりしているかと心配したが、「もうご飯の心配もしなくていいからよかったねと言いたい」のだそうだ。どんどん歳を取って、これから私たち、どうなっちゃうのかね、と言っていた彼女が独居の家で亡くなっていた。電気がつかないので隣家の人が気付いたのだという。福祉の世話にもならず、介護も受け付けずに一人で逝った友。それを「よかったね」という母。もちろん、内心にはいろいろな思いはあろうが、九十を過ぎれば天寿を全うしたと受け止めることもできるのだろう。母にもそういう日がきっとくる。その日まで、できるだけ頑張って、毎日を楽しんで、生き生きと暮らしてほしいと、私は願う。