90 繁延あづさ 亜紀書房
「鶏まみれ」で感心した作者の前作。これも素晴らしい。
東京に住んでいた作者家族は、特にこれというあてもなく、土地勘があったわけでもない長崎に移住する。あえて言うなら、東日本大震災に様々なことを考えさせられての決断だったという。知らない土地に家族で引っ越して、そこで新たに日常を営んでいくことは、転勤族だった私には懐かしくもなじみ深い感覚である。
新しい土地での再出発。作者は、そこで猟師をしているおじさんと知り合い、猟に同行させてもらう。できるだけ銃を使わず、罠を仕掛け、原始的ともいえる槍で仕留めるやり方が中心だ。生命感にあふれ、怒りに燃えた獣の目が、仕留められて力を失うさま。その場で頭を落とし、皮をはぎ、内臓を取り出して埋める。内側にある肉や脂はもはや「おいしそう」という感想を引き出す。
猟師のおじさんからもらった獣肉を当たり前のように食べる生活が始まる。子どもたちにとって、それは日常である。命を食べるということ。生きることは命をつなげるということ。子どもが直りにくい病気になった時、獣肉の病原菌や寄生虫ではないかとおびえ、ただのマイコプラズマだとわかった時の安堵。命をいただくこと、育てるということの責任について考えさせられる。
別の猟師との出会いもある。猿回しをしている猟師の相方の女性は難病の息子がいる。プラダー・ウィリー症候群。そんな名前の病気があることすら知らなかった。この歳になっても、まだ私は何も知らないんだな、とまたしても思う。生きるということの様々な様態、重み。
作者は皮をなめす職人のところまで話を聞きにも行く。思い立ったら行動に移す、人と話す。作者の行動力にも感心する。この本で、私は何度も立ち止まり、今まで考えたこともなかったことを考えることになった。本当に、この人は、ただものではない。
息子さんが養鶏を始めた経緯の本も手元にある。それを読むのが楽しみである。
