75 竹内早希子 岩波ジュニア新書
以前、コウケンテツが小豆島を旅するテレビ番組を見たことがある。地元の食材を使って様々な料理をする番組であった。小豆島で作られている醬油を使っての料理がいくつか作られたのだが、それに先立って工場見学があった。そして、そこで作られている醤油が入っている木桶の話になった。醤油は巨大な木桶で醸造されるのだが、その木桶を作る職人が、もう年老いてしまったのだという。後継者がいないので、新しい木桶はもうこれが最後だよ、と言われた工場経営者の青年は、思い立って自分たちで木桶を作ることを考えた。そして、全国の木桶を必要とする酒蔵や酢の製造者などが集まって木桶づくりを学び始めた。というエピソードが語られていた。
この本は、まさにその話であった。テレビではあっさり語られていた木桶づくりがどのように大変な取り組みであったかがこれを読むとよくわかる。木桶の材料の杉が育つには100年かかるし、それによって作られた木桶は100年使用に耐える。つまり、私たちが口にしている醤油は、実は200年かけて作られたものなのかもしれないのだ。
古い木桶を解体すると、材料の片隅に、木桶職人の様々ないたずら書きが残されていた、というのは古城の修復作業にもあるエピソードである。100年後に修理する人に向けてのメッセージだと思うとしみじみしてしまう。木桶づくりの技術はとても難しく、素人が寄り集まっての作業は非常に困難なものである。何なら自分たち数人でやったほうがむしろ楽ではあるけれど、こうやって大勢で作ることで技術は広く残されるし、また、新しい方法も生み出されていくだろう。年老いた木桶職人も、今持っている力でできる限り教えてくれるそうだし、技術が途絶えないことに安心もするのだろう。
小豆島に行ったことがある。自然豊かで食べ物のおいしい静かな美しい島だった。しょうゆ工場は、そばに行くだけで醤油のいい香りが漂っていた。地方の小さな島の人々が、日本の大事な伝統技術を受け継ぎ、絶やさない努力をされていると思うと頭が下がる。本には、二宮尊徳のこんな言葉が記されていた。
遠きをはかる者は、百年のために杉苗を植う、
まして春植えて、秋実る物においてをや、
故に富裕なり
近きをはかる者は、春植えて秋実る物をも、猶遠しとして植えず、
只眼前の利に迷うて、撒かずして取り、
植えずして刈り取る事のみに眼をつく、
故に貧窮す
(「二宮翁夜話」岩波文庫) 「巨大おけを絶やすな!」より引用
これを読んだとき、私は今の日本を思わずにはいられなかった。古い原発を稼働させることも、東京神宮の杉並木を伐採することも、ただ、眼前の利益だけを考えているにすぎない。これではいずれ貧窮する。
100年、200年のスパンでものを考えられる人が、今のこの国にはどれだけいるのだろう。そういう人こそが大きなことを成し遂げていくはずなのに。なんてことを、醬油桶の問題から考えずにはいられない、そんな今の日本なのだなあ。